ふつうっぽい日記
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2007年09月28日(金) ある意味、異文化交流の「子孫関係」

今日は、予定を自己中心的な理由で変更した。
それによって、少し時間があるので思いが溢れている内に多少抽象的な展開になるかもしれないが記録しておくことにした。

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彼等が結婚をしたのは、およそ39年前頃。
結婚を決めたのは新しい命が確認されたからだと聞いた。
親戚付き合いといえることも、さほどなかったようだ。
彼の両親は、他界して結構時が流れている様子。
しかしながら、墓参りをする事はできなかった。
それは墓がないからだ。
彼には数人の兄弟がいて、4番目。
1番目の男子が仏壇を所持し、そこに親のお骨を備えているらしかった。
坊さんを呼んでの法事はこなされていたようだが、やはり墓は作られることはなかった。

彼の妻は、熱心な思想家。
周りは趣味的な類いのものとして認識して、彼女の邪魔はしていない。
時に彼女の行動が謎に映ることもあるが、それは彼女の趣味の世界として差し障りのない範囲で対応をする。彼女もまた強要的な何かを押し付ける訳ではない。
縁あって彼等の息子と親しくさせていただいているのであるが、彼によると両親は離散の危機があったという。
しかし、彼等の子ども等の働きかけで、それは免れた。
彼は言う。「息子に足を向けられない」と。

(おそらく彼女の行動力によって)この度、彼の両親の墓が建てられることになった、と聞いた。
本来先導すべき「長男」つまり、彼の兄は、今後も両親の墓を建てるつもりはない、と、彼等夫婦が兄の家に赴いた時、きっぱり言ったのだそうだ。
彼女は彼等の兄弟の感覚に、おそらく驚いたと思われた。
にもかかわらず(一度は別れようとまでした関係にもかかわらず)、彼女は彼の両親の供養役を申し出たのだ。(表向きはもちろん彼なのだとは思う)
彼の兄の家に、その相談を持ちかけ、反応を確認して、関西の彼女等の自宅に帰宅後まもなく、彼女等は供養する地(つまり墓地)を獲得するために行動した。運良く、自宅の近隣にそれを得る事ができたという連絡が昨日あった。

こちらからは近寄れない思想を持っている彼女だが、その姿に「嫁」としては打たれるところがあった。
おそらく、長年、彼女も悩んでいたんだと思う。
嫁ぎ先の両親の墓参りもできないその環境が。
そして、恵まれた息子の嫁にも、先祖に手を合わせさせる事ができない事への不甲斐なさのような感情。それらの感情を落ち着かせるために私は彼女が思想を選んだように思えた(偏見だが)
そうでもしないと、落ち着かない感情。
自らの意思で近づいたのだと思う。
おそらく、救われた感があったのだと思う。

彼女にはもう1人の息子とあと娘が1人いる。
まだ未婚で見合いをさせてみたり、字画占いに頼ってみたり親としては気がかりな様子らしい。
娘がおそらく趣味的だと思うが、占いに少しハマっている様子なのだ。
冷静に考えればそれは基本的なことなのかもしれない。
常識的な。

「子宝に恵まれないのは、先祖供養ができてないから」

いくつかの占い的な、書籍を見てもそれはよく書かれていることではあると思われた。

子宝に関して意外にも、先祖供養されてないことによって、なにかしら災いがある、というのは理屈抜きで分かるような感じはある。
先祖無しには、自分は存在しないのだから。

2年前だったか、彼女の両親の墓参りの場に私は立ち合った。彼女の夫は来ておらず、彼女の娘と息子(1名)と一緒に。
結婚して6年経つか経たないかの頃だ。彼女の息子はかつて参ったことがあったそうだが、かなり久しぶりと言っていた。
もちろん、墓石には彼女の旧姓が書かれていた。
その場所は、少し山の上の方ののどかな土地にあった。周りには多数の墓があり、霊園として管理されていた。
聞くと、今、その場所に墓はないとのことで、墓守(長男)がなかなかその地へ行く事が困難なために墓を移動したとのことだった。
本来、墓は移動するものではないらしいが、長男の決断。
結果として彼女も墓参りが身近にできるようになったのではないかと思われた。


結果として、彼の息子の眠るであろう場所もできた。


温度差があるのが結婚生活。
ある意味、異文化交流の「子孫関係」で繋がっていく一族。


何かと家族内でもコミュニケーション力が弱まってきている現代。
親、兄弟とのホットラインは守っていかれるのが「ふつう」でありますように願ってやまない。


KAZU |MAIL