ふつうっぽい日記
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2007年11月07日(水) |
ガリレオを見てないことだって、たいしたことじゃない。 |
「オレも大阪行ったことあるで」 彼は、聞いてないフリしてしっかり私の自己紹介を聞いていた。 それは、図工で彫刻刀で木版を彫りながらの台詞だった。 「大阪のどこ?」 「大阪府」 そのあたりが無邪気である。 子どもらしい。
別の子どもが言った。 「ワタシ、親に怒られたことも、叩かれたこともないよ〜」 それを聞いていた彼は「ウソやん。信じられへん。母ちゃんにバカ!って言ったら絶対に怒られるよ」
彼は、おじいさんと母親の3人暮らし。 おじいさんと母親はたいそう、厳しく彼を教育しているようだ。 家庭の教育力が低下、と言われている中、ちゃんと子どもと向き合っているのだと思う。 それが情報や価値観が多様化している社会の中での、本来の姿、なのかもしれない。 有害と言われるメディアには遠ざけ、環境も気にかけて。 そこまでできる親の力は感心。
また別の子どもが言った。 「昨日の、ガリレオみた?」 「見た見た」という声や「ビデオに撮った」という声。 それはドラマである。 彼は「ガリレオって何?ああ。ドラマや。なんだ、ドラマか(けっ…)」 「お前、見とらんとや〜?」
おそらく彼の家ではドラマの類いは見せられてはいないのだと思われた。
彼はぼそっと言った。 「オレは世界一の王様だ。」
私は週2回、ボランティアで彼の学習支援に関わっている。
初めの一時間は、グループ学習で状況が分からない私は、文句をとくに言うでなく助言をするでなく、耳を立てて彼等の言葉を聞くことに集中した。 次の時間が図工だった。 まだ未熟な手先。 手元は危なっかしい。
彼等の間で彫刻刀で削ったカスの長さを競うのがブームらしかった。 木版の裏面で「練習」することは許されていて、練習を楽しんでいた。 「ちょっと、先生も練習してもいい?」と聞くと、「ええで」と彼は言った。 一応、大人。 一応、手先は普通に操れる。彼は、私の手元をしっかり見ていた。 削りカスは彼の記録を更新。 彼は「スゲー」と言った。 「オレ様」な彼から褒めの言葉をもらえるとは思っていなかった。 それを見て、頑張る彼。 やはり不器用な結果になるのだが、その削りカスの形をみて、「長くないけど、鳥に似とう、ここ、ここ」と私に見せる。「ホンマや」と私も認めた。
やがて図工の時間は終わり、片付け。 机の上には誇らしげな削りカスがいくつもあった。 彼はそれを「取っとく」と言って、筆箱に大事そうにおさめていた。 「これも、取っとく?どうする?」と言えば、「それは、丸い形で面白いけん、取っとく」と筆箱にしまった。
個性とはなんだろう。
ガリレオを見る環境にある子ども。 それを見させてもらえない子ども。 ガリレオを見てない子どもに自慢する子ども。 見たいとも親に言えない子どもの辛さ。 厳しい保護者のもとで暮らす子ども。 いたずらをするけど、しっかり怒られて、謝る子ども。 親の前では「いい子」でいたい子ども。
全てが彼のような家庭環境だったら、厳しい保護者の元で育つ子どもだったら、おそらく「問題」は表に出ないのだと思う。 ガリレオを見てないことだって、たいしたことじゃない。
厳しすぎるのと厳しいとの境目は、見えない。 そしてそれを教育者といえども指摘されるのはプライドが許さない(そう思って欲しいと願う) 厳しかったかも?と振り返って分かるセンスはきっと親にもあるはずだ。
問題はそこじゃない。 きっと。
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