ふつうっぽい日記
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来月から、週2日でまた学校でボランティア活動をすることになっている。 先月の終業式から1ヶ月半。
ほぼ、ごく普通に日は流れた。 夫の休みの確定が遅かったので、どこかに旅行に行く(帰省も含め)予定も立てられず。
あえて何をしたか?と言われたら、結構本(漫画も含め)を読んだと思う。 これから読む本もストックされている。
大きなイベントといえば、イトコの結婚式出席。 5つほど年下。 時々、近況を思い立ったようにメールしてきて、なんとなくさぐっていたつもりだが、まさかすでに新しい命を宿らせているとはちょっと驚きだった。 介護職の彼女は、中高とテニス部に所属して運動神経も完璧。 そして、高校時代から関わったという手話の腕前もかなりのものらしい。
手話。
彼女にとっては、英語みたいなコミュニケーションツールのようで、「手話会話」を自分なりの方法で堪能していたようだ。 1つのサークルにとどまらず、某県内のいろんな手話サークルを回って、交流をしていったのだとか。その中で、高校時代の手話に出会うきっかけとなった講師の方と再会し、交際へと進んだ。
親戚からの彼女の印象はどうなのか、私にはあまり分からないが、私にとっては笑顔の無邪気な幼稚園〜小学生の頃の姿が印象深く、家族ぐるみで旅行に行ったりもしていたので、実妹とはまた違った妹分だった。そんなによくしゃべるタイプではなかったと思う。 彼女は結構、私に話しかけてきたと思う。その兄もまたそうだが。 私から見ても、おじいちゃん、おばあちゃん思いの優しい娘だった。
結婚披露宴では、彼女の「笑顔」についての評価が高かった。 母は、「笑ったところってそんなに見たコトあったかしら」と言っていたのだ。 アナタが知らないだけで、彼女はちゃんと笑っていましたとも。 無邪気に。あどけなく。 分厚い眼鏡の奥で、ちょっぴりの悔しさと闘いながら。
「花嫁からの手紙」で、彼女は告白していた。 「15歳まで私は斜視で遠視でした。おばさんから3歳の頃、ちょっとおかしいんじゃない?と、指摘されて大学病院に治療に通うことになりました。辛いこともあったけど、お母さんには本当にお世話になりっぱなしでした。私1人の選択じゃ、どうすることもできないことでも、お母さんがいてくれて本当に助けられました」というような内容。
「アタシだったら、どう思っただろうね?どうしてただろうね?」と母。 「もし、子どもができたってことを結婚の話よりも先に聞いたら。」 「周りには黙っておくようにするんじゃないの?もし、10年くらい前の話だったら。」
そんなつぶやきも聞きながら、その翌日、「3歳の時に指摘したオバサンってお母さんのコト?」と聞いてみた。 「どうやらそうらしい…」と、当時のことを思い出したらしく、少しどんよりしていた。 言われた彼女の母親にすれば、「えっ…そんな…まさか…」と複雑な思いだっただろう。 病院で診断を受けるまでは。 当事者である彼女も、たしかに小さい身体には負担の治療だったと思う。 今の医療技術を持てば、期間も短くて解決できた問題だったのかもしれない。
結婚式というのは無条件にパワースポットみたいなのになると私は思う。 それぞれ立場は違うが、なにかしらの思い入れとの交差をハッピーな空間で味わう。
知人は、「それを悲喜こもごもって言うんだろうね」と表現してくれた。 娘を手放す、嫁がせる父親や母親の感情。 かつて、晴れ舞台の主人公だったことを思い出したり。 私だったら、こうしたい…とか。
「家庭をつくる」は必ずしも「子どもをつくる」ことというわけではない(と私は思う) 夫婦2人でも家庭だ。 1人でも…
帰宅して灯がともっている「我が家」への羨望。 単身赴任の夫は、わざと玄関の電気をつけたまま出勤するのだという。 それは、誰もいない家に帰宅するのではないつかの間の1人の自分を落ち着かせる灯の演出。 やがて、それが自分でたしかにつけた灯であることを思い出して、ちょっぴり切なさをかみしめる。そういう思いはなるべくならしたくないし、させたくないね。
「オットが帰宅した時に、リビングのソファーでくつろいでいたとしても、取りあえず台所に立っていた方がいいものなのかな?なんて想像したりして」と、某独身女性の台詞。
出来る妻の「演出」
ピュアだな…と思う。 私だったら、とりあえずソファーから玄関に向かうくらい。 台所に立っておくのがいいか?とは思考しないだろうな。
いろんな家庭への憧れや夢を抱きながら、来るべき現実としっかり向き合っていってほしいと願う既婚者(子無し)の私だ。
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