ふつうっぽい日記
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2008年08月26日(火) 気付けば8月末…

来月から、週2日でまた学校でボランティア活動をすることになっている。
先月の終業式から1ヶ月半。

ほぼ、ごく普通に日は流れた。
夫の休みの確定が遅かったので、どこかに旅行に行く(帰省も含め)予定も立てられず。

あえて何をしたか?と言われたら、結構本(漫画も含め)を読んだと思う。
これから読む本もストックされている。

大きなイベントといえば、イトコの結婚式出席。
5つほど年下。
時々、近況を思い立ったようにメールしてきて、なんとなくさぐっていたつもりだが、まさかすでに新しい命を宿らせているとはちょっと驚きだった。
介護職の彼女は、中高とテニス部に所属して運動神経も完璧。
そして、高校時代から関わったという手話の腕前もかなりのものらしい。

手話。

彼女にとっては、英語みたいなコミュニケーションツールのようで、「手話会話」を自分なりの方法で堪能していたようだ。
1つのサークルにとどまらず、某県内のいろんな手話サークルを回って、交流をしていったのだとか。その中で、高校時代の手話に出会うきっかけとなった講師の方と再会し、交際へと進んだ。

親戚からの彼女の印象はどうなのか、私にはあまり分からないが、私にとっては笑顔の無邪気な幼稚園〜小学生の頃の姿が印象深く、家族ぐるみで旅行に行ったりもしていたので、実妹とはまた違った妹分だった。そんなによくしゃべるタイプではなかったと思う。
彼女は結構、私に話しかけてきたと思う。その兄もまたそうだが。
私から見ても、おじいちゃん、おばあちゃん思いの優しい娘だった。

結婚披露宴では、彼女の「笑顔」についての評価が高かった。
母は、「笑ったところってそんなに見たコトあったかしら」と言っていたのだ。
アナタが知らないだけで、彼女はちゃんと笑っていましたとも。
無邪気に。あどけなく。
分厚い眼鏡の奥で、ちょっぴりの悔しさと闘いながら。

「花嫁からの手紙」で、彼女は告白していた。
「15歳まで私は斜視で遠視でした。おばさんから3歳の頃、ちょっとおかしいんじゃない?と、指摘されて大学病院に治療に通うことになりました。辛いこともあったけど、お母さんには本当にお世話になりっぱなしでした。私1人の選択じゃ、どうすることもできないことでも、お母さんがいてくれて本当に助けられました」というような内容。


「アタシだったら、どう思っただろうね?どうしてただろうね?」と母。
「もし、子どもができたってことを結婚の話よりも先に聞いたら。」
「周りには黙っておくようにするんじゃないの?もし、10年くらい前の話だったら。」

そんなつぶやきも聞きながら、その翌日、「3歳の時に指摘したオバサンってお母さんのコト?」と聞いてみた。
「どうやらそうらしい…」と、当時のことを思い出したらしく、少しどんよりしていた。
言われた彼女の母親にすれば、「えっ…そんな…まさか…」と複雑な思いだっただろう。
病院で診断を受けるまでは。
当事者である彼女も、たしかに小さい身体には負担の治療だったと思う。
今の医療技術を持てば、期間も短くて解決できた問題だったのかもしれない。


結婚式というのは無条件にパワースポットみたいなのになると私は思う。
それぞれ立場は違うが、なにかしらの思い入れとの交差をハッピーな空間で味わう。

知人は、「それを悲喜こもごもって言うんだろうね」と表現してくれた。
娘を手放す、嫁がせる父親や母親の感情。
かつて、晴れ舞台の主人公だったことを思い出したり。
私だったら、こうしたい…とか。


「家庭をつくる」は必ずしも「子どもをつくる」ことというわけではない(と私は思う)
夫婦2人でも家庭だ。
1人でも…

帰宅して灯がともっている「我が家」への羨望。
単身赴任の夫は、わざと玄関の電気をつけたまま出勤するのだという。
それは、誰もいない家に帰宅するのではないつかの間の1人の自分を落ち着かせる灯の演出。
やがて、それが自分でたしかにつけた灯であることを思い出して、ちょっぴり切なさをかみしめる。そういう思いはなるべくならしたくないし、させたくないね。

「オットが帰宅した時に、リビングのソファーでくつろいでいたとしても、取りあえず台所に立っていた方がいいものなのかな?なんて想像したりして」と、某独身女性の台詞。

出来る妻の「演出」

ピュアだな…と思う。
私だったら、とりあえずソファーから玄関に向かうくらい。
台所に立っておくのがいいか?とは思考しないだろうな。

いろんな家庭への憧れや夢を抱きながら、来るべき現実としっかり向き合っていってほしいと願う既婚者(子無し)の私だ。


KAZU |MAIL