ふつうっぽい日記
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2010年08月13日(金) |
突き動かされるピュアな勢いであったことに気づいた日 |
私が倒れて
いきなり義母と妹が来て
パニックが押し寄せてから
もう何日も経った。
今日、ふと繋がった。
昨日、発病後初めて実家に電話をした時
義母から電話があって母を出すように言ったという。
教育方針を聞きたい的な内容だったそうだ。
父が電話に出て、内容としては「どうして実の娘がこういう状態になっているのに親として真っ先に駆けつけないのだ!」と憤ってあったという。
その時は、私は「まぁまぁ、そういう人だから」となだめた。 どちらかというと実両親サイドの「味方」であった。
でも。
今日の夕方過ぎになって、昨日の久しぶりの電話で心のエネルギーを消耗したのか、わさわさと落ち着かない気持ちが突き上げた。
そして繋がった。 義母は「いきなり」少々常識的なことよりも行動を優先させる人であったが、それは心から直観的に突き動かされて「嫁」を見舞う行動を起こした、ただそれだけなのだ。 行ってみないと状況は分からない。
私は症状上、尖った態度を取る道を選んだ訳だが、翌日、花が贈られてきた。
今朝まで、「両親来なくてよかった」と考えていた。 でも、両親は来るべきだったのだ。 たとえ、門前払いをくらっても。
昨日の電話を思い出す。
「来て欲しい時は言ってくれたら行くんだからね。来て!っていうのを待っていたのよ」
患者の私が、不安定な私が、言える余裕なんてない。 まして幻聴が聞こえる中、夫の存在をも危ういのに、自分が自分であることも微妙であったのに。
私は夫に誰とも会いたくない!と言った。 その言葉を言う前に、義母等は来た訳だが、今思えば、純粋な心配な気持ちであったのだろう。 そして、私は「愛されている」と思った。 実の親よりも。
夫は我が父へ「二人を見守っていて下さい」的な内容メールを送ってくれたという。 実両親は心配だったという。 我が夫が。
でも、夫からそういうメールをもらってもなお、「でもね、娘の事が心配だから…」と強引に行ってみようという発想はなかったのか。
「来て欲しい時は言ってくれたら行くんだからね。来て!っていうのを待っていたのよ」
待っていたと言われても、私には伝わらない。 「行ってみたいと思うんだけど、都合どう?」くらい申し出てもらわないと分からない。
急性期真っ最中にも「いつ招待されるのかと待っていたのよ。部屋が片付いてなくても、布団がなくてもそんなのいいの」とも言っていた。
言われないと分かる訳ないじゃないか!
やはり、私は彼らから本当の意味で愛されてないのかも知れない。 いや、ただ、彼らは「愛する」ということを知らないだけなのかも知れない。
もしかしたら、息子を気遣う「母」としての「義母」の愛情の勢いだったのかもしれない。
義母が、そうっとしてくれていることに私はただただ感謝している。
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