ふつうっぽい日記
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2010年08月12日(木) |
曖昧な記憶に翻弄されて |
3歳よりも前の記憶は、「隠滅」されるらしい。 物心というのはだいたい3歳らしい。
妹は「お母さんのお腹の中でぬりえをしていた」とよく言っていた。 実際、そういうことはありえない。
3歳の頃、塗り絵にはまっていて(塗り絵で遊ぶ時間が中心で)過去にさかのぼっても、きっとそうだったのだろうと結びつけたのだろう。
母はこういって笑っていた。「それにしちゃ、そんなに絵が上手じゃない」 これは一応そのありえない状況を想像(信頼、受け入れ)したからだろうと思う。
まぁ、塗り絵が上手であっても絵を上手に描けるかというと別の領域だ。 線の内側をはみ出さずに塗るのが塗り絵だ。
4月末から約2ヶ月、私は「過去」にとらわれていて、「過去」の出来事の中で「犯人探し」のようなものをしていた。私を産み、育てた親にその責任を問うようなこともやった。 「今日1日どうやって過ごしていくか」を考え行動するよりも、「過去」が優先してしまうそんな精神状態にあった。
後にその過去をふり返って問い詰めたりしたことが再び自分の中に戻ってきて、自分を責めることになるのだ。
自分の放った言葉は自分に跳ね返ってくる。 たとえ相手の反応がなかったとしても。 いや、相手の反応がないと、より強い力で戻ってくるとも思える。 そして、壁打ちテニスを何度かやることになり、やがて、我に返り、別の手段を講じる。
同じ「反応がない」という状況でも、相手との関係が深い場合は、内側に向かう。 自分を責める。
私は母に対して、メールで結構きつい言葉をつらつらと送った。
『トラウマ返し―子どもが親に心の傷を返しに来るとき 』という本を読んだのもきっかけだった。
今日の新聞の本の広告欄では「忽ち8刷」と書いてあった。 (私が買ったその本は6刷だった)
私は母に「私はどんどんこういうことを伝えていくと思うけど、あなたはあなたの人生を優先にして決して悩まず、私が歩んで欲しい楽しい60代を過ごしてそれを私に伝えるようにしてください。そうすることで、私は落ち着いていくことができるのです」といった言葉を送った。
実の親に対して、実に堅い内容だとは思う。 しかし、私が私の課題として向き合い、乗り越えたり、何かの「障害」があったとしても「受容」していくには、これがベストだろうと私は判断したのだ。
私が私であること、私が私の問題として抱えることが成長。
私は人の親の経験をまだしていないが、「親心」としては「心配」ではあるのだと思う。
親離れ、子離れ。
昔は「通過儀礼」的な行事で、その心理的距離は自然に成長、発展していったのだろうと思う。 成人式や結婚式は、ある種の「別れとはじまり」のけじめの儀式。
しかし、その見た目(どんな衣装を着るか、誰を呼ぶか、失礼のないように配慮せねば)などに視点がおかれやすく、「三つ指ついて…」というのは私はさせてもらえなかった。 「いつでも戻ってこい」というのが親心であったのだろう。 今思えば、「させてもらえなかった」のではなく、「しなければならない」重要な儀式だったと思う。その時に家族みんなが泣いたとしても。 結婚式で「花嫁からの手紙はしないよ。だって、お母さんからそれだけはしないでねって言われたから」と言っていた友人もいた。
私は涙ながらにも手紙を書き、読んだことは小さな儀式をクリアしたと思う。
私も見た目を気にしていたな、と反省した。 「どうして、お父さん泣かなかったのだろう…」と何年もことあるごとに思い出した。 私の知らないところで、号泣したのだろう。 声を抑えて泣いたのだろう。 抑圧して、これからの自分の人生を奮い立たせたのかもしれない。
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