ふつうっぽい日記
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2011年04月26日(火) |
一つの教室に2人の大人 |
昨日、特別支援教育支援員の採用試験を受験。
採用担当としては2名で3月までの任期を回したいとの考えであり、試験受験者は2名。 よって、試験を受けることができた私は任用の確定者といえそうだった。 手続き上、試験の回答ぶりと任用計画を教育委員会に提出して、辞令を発行してからの採用。
2名で回していくにあたり、同時に任用はできない仕組みの中で、どちらがまず現場入りするかについて問いかけられた。 やや間を作ってから、私は勢いよくアピールした。
私以外の任用者は、前年度現場入りを経験しており、採用担当者でありかつ体制の「ボス」である職員との信頼関係も築けている。それを見据えた上で、私はより早い段階で基盤を整えたいと考えて積極的に出た。
前年度についてはその任用者以外にも人材がいたようだが、今回は応募してこなかった気配である。
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さて、話の現場を移す。
「支援員」という制度は全国規模で自治体の状況を受け止めながら多様に展開されている。 ネット上の関連コミュニティでのエピソードを参考までに取り上げておく。
ある児童の支援を進めるにあたり、その保護者の願いというのは配慮される重要な事項である。 「世間体ではなく、全体を見守りながらわが子に配慮してほしい」という希望を伝えてこられた保護者。対象児童の所属は通常学級。 担任教師と支援員の立ち位置に四苦八苦している支援員。 何度か「あなたは教員免許を持っているのか」と尋ねられるそうなのだ。 そのうち、他で任用されている支援員は教員免許を持っているのか?というのが気になってきたという。
支援員の採用条件は一律ではなく、教員免許を求めているところもあればそうでないところもあるし、免許を持っている者には時給のベースアップが実施されていたりする様である。 私の属する自治体では、教員免許は問われていない。一律賃金制である。
さて。 支援員は原則としてある固定された児童生徒を見守ることになっている。 固定された対象児童に対しての距離は、ピタリと張り付くと考えられがちである。 どこへ行くのも一緒、のような。 全体を見守りながらある「個」に配慮をする、というのはどういうことか。
私はこういう情景を想像した。 「わが子でありながらそれを告げることは許されない。 かげながら愛情を注ぎ続ける親のような存在。」
私の経験をふり返ると、週2日であったが対象児童が指定されていた。 授業時間はほぼその子の近くに椅子を置いていて対象児童にとって「助手」のような役を担っていた。実際に「関わる」のは対象児童の周囲の児童も包括。 周囲の環境が落ち着けば対象児童の集中力も促される傾向が見られた。 授業時間外は、意識して他の児童との関わることを優先した。 対象児童が男子であれば女子と関わるといったように。
賢い子は、どうしてその子にこの大人(支援員)は必要なのかについて考える力を持っている。 それをうまく言葉にすることは出来なくても「なんとなく分かる気がする」感覚に気づけている。 そして、対象児童も「この人がいるおかげで運がいい」「都合がいい」というメリットをなんとなくつかめてくるのだと思われる。 そう「周り」に思わせるように、働きかけるように、支援員である自分をコントロール、プロデュースしながら日々試行錯誤することが求められる。
「周り」には、子ども以外にも大人が含まれる。 多様な職員との人間関係。 だからといって、一個人との関係構築に一喜一憂しながら日々過ごすのは本来の目的からずれることになる。
私はこう考えて支援の現場に関わっていた。 「つねに子どものために行動する」 担任の動線を妨害しない配慮をしつつ、対象児童の周りの子達への理解啓発。 その小さな試行錯誤の支援員の後ろ姿は多くの大人たちから知らず知らずのうちに関心を持って見つめられていることがある。
目的に対してひたむきに努力するその姿を通して、信頼関係が結果として築かれていくことがある。担任教師にしてみれば「私の学級の子ども達をこんなにも愛してくださってありがとうございます」という気持ちが持てると、自然に関わった人間に対して信頼の気持ちを持つことにも繋がる。
誰しも「虫が好かない人」という人間がいる。 しかし、当人同士が深く人間関係を築けなくとも、共通する「何か」を通して培われる信頼関係というのは存在する。 だから、無理して頑張って理解しようとしなくても私はいいのだ、と考えるのだ。
ーーーー 【参考文献】 中野民夫・堀公俊 『対話する力』日本経済新聞出版社(2009年)
(30頁) …私たちは、相手を傷つけたり、自分が傷つけられるのを恐れるあまり、どうしても曖昧な言葉で分かり合ったフリをしがちです。
(41頁) …人は他者と関わって対話を繰り返しながら「協働」を成し遂げます。
(45頁) …集まった人々が、安心してお互いに遠慮なく自分の思いや考えを話せる場ができれば、一緒にいることが楽しくなります。
(57頁) …少しずつ「しなやかに」そして「したたかに」、さまざまな形で続けていくことが大切だと思います。
(67頁) …まずは自分が信頼できる人間であることを見せることです。自分の気持ちや考えを素直に出す、相手を尊重する、公平に接する、みんなが期待することを率先してやる、といった態度が欠かせません。
(73頁) …一人ひとりがこの場に必要であり、誰もが貢献できるなにかがあるということを、言葉だけでなく、態度や場のつくり方などで伝えられたら素敵ではないでしょうか。
(109頁) …「湧き上がってくる感情や思考」はありがたいサイン、傾聴に値する情報だと思って、巻き込まれも抑圧もしないように、そのまま自覚することが大切ではないでしょうか。
(134頁) 他者からの評価に寄りかかりすぎず、「やれることを精一杯やる。以上」という気持ちで、淡々と次へと向かうのが長続きする秘訣でしょう。
(138頁) 優しくて熱い存在感が多くの人の心を開かせていくのだと想像します。
(180頁) …「見守る」は、問題や危険がないか「見張る」のではなく、その場の状況をじっと「見つめる」という意味。
(242頁) …本人の人間性がカギとなります。
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