ふつうっぽい日記
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2013年07月12日(金) 苦楽について

ちょっとしたテレビドラマを見ながら。

「(専業主婦として家庭に縛り付けたから、苦労させたから)楽させてやりたい」という夫。
そのタイミングは子育てを終了したとき。
子育ての終了とは独立(結婚)である。
「罪ほろぼししてもらいたいんじゃないの」という妻。

妻は、子育てが終了したら……(やりたいことをやる)と、夢を描いていた。
自分の支出を抑えて、それなりの蓄えもしてきた。
「やっとその日が来た」と考えているのである。

苦労する。
楽をする。

苦労の日々であっても、ささやかな幸せな時間はあったかもしれない。
だからこその小さな幸せの有り難みを感じられたかもしれない。

そう考えると
「楽をする」日々の中で、幸せな時間を実感するということはどんなもんだろうか。
しかも、「楽をさせてもらっている」という立場だったら。
そうなると「楽をさせてやっている」という立場はどうなるのだろう。

「苦労をさせる」「楽をさせる」
自分にとっての「苦労」「楽」と、他者にとってのそれは同じなのだろうか。

他者にとって「こんなことやって何が楽しいのか」と思えてしまうことが、自分にとっては幸せなひとときであることは珍しくはないと思う。

緻密な作業が得意な人、苦手な人(面倒くさい人)。
大ざっぱな作業が得意な人、苦手な人(気になる人)。
得意や苦手なんていうことは考えず、「そういうものだ」と淡々とこなす人だっているはずだ。
「こういう時はずっとこういう風なのだ」と決める必要もない。
体調によって変動することもある。


体調と言えば、今の時期、暑さで閾値が高まる。
暑さが疲労を引き寄せる。
といっても、少しずつ順応していくだろうから平坦ではないだろうけれど。

順応すること。
してしまうこと。
ここで、もう一度戻ってみる。
苦労すること。
楽をすること。

苦労を知っていることも楽を知っていることもきっと意味がある。

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小さなアリが一年生の女子の白いハンカチについてしまった。
小さなアリ。
でも、その子にとっては衝撃だった。
衝撃で大きな声で泣いた。
それを聞いた子が、面白がって、ついてもいないアリがいるとその子に言った。
さらに泣き声は大きくなった。

そういった小さな相互作用が重なって、成長いくのだろう。

ただただ衝撃の時。
衝撃を面白がる時。
衝撃に順応できる時。


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テレビドラマでは子どもたちが巣立った部屋になんだか訳ありの女性が二人。
DV夫から逃げてきた主婦、家出娘。
そして男性。この男性も訳あり。ひきこもり。
時間差で別々のエピソードでこの家にやってきた。
この家は間もなくレストランとして開店する。




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