ふつうっぽい日記
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家族とは、小さな社会だ。 狭くて、偏りのある社会だ。 その小さな家族社会から自立して、あらたな小さな家族社会を構築していく。
両親はともに高卒。 その子等は、短大や大学進学が当たり前のような世代だ。
「単位って何?」と、今思えば、母は言っていた。 その時、めんどくさそうに多分わたしは一応は説明したのだろうと思う。
大学を卒業して約20年。
現在、二つ目の大学在籍5年を経過した。 両親にしてみれば、大卒の資格があるのになぜまた大学に通うのか謎であることであろう。 大卒の資格がない自分たちへの当て付けに映るのかもしれない。 というのも先日、こういうやりとりが展開されたからである。
パートが2月いっぱいまで休業なので昼食を一緒にすることになった。 そのスケジュールを決めるにあたって、月初めは定期試験があるためそれ以降にしてほしいと希望を伝えた。
昼食当日。 「試験って何の試験だったの?」 「通信講座の提出課題に合格すれば単位認定試験というのを受けられるのよ」
今思えば、この回答のセンスはよくはない。
そして、 「じいさんばあさん層もいらっしゃるよ」とも言ってしまう。 それに対して、父が 「そういうのをお父さんたちもしたほうがいいのだろうけど……」とつぶやいたのだ。
わたしの現在の大学での学びを近況的に伝えたその内容が、 「あなたたちもやりなよ」的メッセージに置き換わったのだろうと思われたのだ。
わたしとしては、わたしという個人的な人間が、存在が、大学で学ぶという時間の使い方をしているということをただ伝えたかっただけなのだ。 例えば 「毎週、金曜日はジャズダンスサークルに参加しているの」みたいな感じで。 だから 「続けられているんだね」とか 「頑張っているんだ」とかその程度の反応が都合がよかったのだ。
そんな具合なので、おそらく科目を選ぶ時のワクワクとか迷いとか、アラビア語を選択するかスペイン語を選択するかとかで楽しく悩んでいることは、簡単には理解されてないだろうと思う。 しかも、その迷いや悩みは、20年前の大学での履修決定とは空気が違うわけで。
ジャズダンスサークルや生け花教室に通うというは分かるが、なぜ、大学に行くという選択をするのか。
人間というのは遺伝と環境の相互作用で発達する。 環境は子どもが幼いうちは、親(養育者)が把握できるものに限定されるものだ。
しかし、環境の中でのコミュニケーションの方略は親が教えたとしても仮説どおりにはおそらくはいかない。 「積極的に育ってほしいから、積極的な子と友達になってほしい」と考えるのは、ふつうなのかもしれない。 しかし、わたしは幼稚園時代それは苦悩であった。 あきらかにグループが違うというか気質が違う子の家に親に連れられていき、過ごした時間。
ある特定場面が想起される。 同年代の積極的な子Aちゃんには、お姉さんがいた。 そのお姉さんの年齢はどのくらいだったのか今となっては分からないのだが、幼稚園児であったわたしにしてみれば中学生くらいにも思えた。 そのお姉さんは、Aちゃんを押さえつけて両頬を殴っていた。 衝撃だった。 Aちゃんは泣いていた。 積極的なAちゃん。
Aちゃん姉妹にしてみれば、日常であったのかも知れない。 親の前でもそういうことをやって、その度に叱られていたのかもしれない。
わたしはどうしたか。 わたしにも妹がいた。 わたしはAちゃんを妹に位置づけて、わたしをAちゃんのお姉ちゃんに位置づけて、同じように押さえつけて殴ったのだ。
残酷な物語だ。 しかし、実話だ。
妹はその時のことをおそらく覚えているだろう。 いや、もしかすると覚えないようにして意識の底に沈めてきたかもしれない。
フタが開いて「怒り」の玉が浮かんできて、そして「哀しみ」の玉が浮かんできた。 怒り、哀しみの感情の誕生は「喜び」に繋いでいいのだ。 怒り、哀しみの感情を理解する能力の確信。 やがて、それは「楽」に生きていくためのエネルギーになる。
「怒り」「哀しみ」の玉は、どろどろしていて非常にネガティブ。 フタが開いた時、とても気持ち悪いし、不安になる。 不安の先には何がある。 不安を通過させるから何かがある。 その何かが「喜び」だったり「楽しみ」だったりするのだ。
不快や不安とか不安定などろどろしたものが何をもっても先にあるというのは、それが重要な感情だからだ。
ーーーーー 今回の文章を書いたきっかけは、実は父への不信感だった。 伝えたかったメッセージを文章にして落ち着きたかったのだ。 「そうじゃなくて」ということをその時に言わなかった自分を救いたかったのだろう。
対話というものが、ある言葉があって、後からいろいろと後付けされていくしかない営みだとしたら、その言葉が音声的に発していなくても続いていくものだとしたら、その対話は一つの物語であるようで、書換可能、語り直し可能な大きな一つの営みでもあるのだろう。
父には父の物語が、母には母の物語が小さな家族社会を通過点にして、多様に触手を伸ばしながら紡がれていっているのだ。
物語の演出はその物語の主役であり語り主であるそれぞれの「わたし」に委ねられている。
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