ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2014年02月15日(土) 途上としての減量現象

「ダイエット」という単語。
わたしは、どうもこの単語を巡らせるとひねてくれてしまう。
カタカナだからか。ちなみに英単語では「diet」と綴り、同じ綴りで「議会」という意味の単語もある。


約2ヶ月くらい前から、「糖質」を意識した食生活を送っている。
意識するといっても、主に夕食。

夕食にご飯、めん類などの炭水化物を中心とした食事を制限することを心がけている。
週末の昼食が外食になってしまうことも珍しくはないが、その時も、リスクを意識して食べている。

きっかけは夫が健康診断で医者から「糖尿病予備軍」的な言葉を受けたからだ。
身内にも生きた教材がある。
我が母は糖尿病とは言わないけれど、血圧を下げる薬とコレステロールを下げる薬の処方を受けている。最近では骨粗鬆症とも言われてそのための薬も飲んでいる。
老化による諸機能の低下は発達上仕方のないことではある。
そして、生活習慣によって老化を早めたり遅くなったり差が出てくるのも仕方のないことである。まぁ、「差」といっても、自分以外の個体と比較して判断するのは広い視点に立てば狭い意味での差に過ぎない。

もう少し我が母のことを書いておこう。
過去に二回、片足太ももが「こむら返り」を起こして辛い思いをしている。
「こむら返り」とは、筋肉が突然痛みを伴って持続的に収縮する(ひきつる)発作。
こむら返りを起こす部位はいくつか考えられるが、太ももという部位は筋肉が大きいので辛さも比例する感じで辛いようだ。

一回目の発作では、救急搬送を選択している。
足がつったくらいで救急車を呼ぶのはいかがなものか。と、思ってしまうのは一般的だろうと思う。
身内としてのわたしは、過剰に心配してほしい気持ちが盛り上がった結果ではないのか、不安のコントロールに失敗した結果ではないのかなどと分析するのを回避できなかった。

二回目の発作は、救急搬送は選ばなかった。
夕方、父も在宅していて、病院に行って、「応急処置」を受けて落ち着いたそうだ。
「応急処置」は、医者側からすると二番目の方略であったようだ。
一番目の方略は、「痛みが続くようであれば、この薬を飲んでください」という薬物治療。
一回目の発作では、「応急処置」が実施されたのだ。その「応急処置」とは、整体的なもの。つまり、運動による。ふくらはぎがひきつったら、足の裏を伸ばしてみるとかそういう種類の運動だ。
一回目の応急処置のことをすぐさま想起して、その時の運動を実施すればよかったではないか。しかし、一回目の応急処置は救急搬送の現場であり、「こうなったら、そうすればいいんですね」的に冷静に受けとめることなんかできなかったはずだ。
二回目というのは、一回目を経験しているからこそ、冷静さは残されている。
父は、「先生、薬じゃなくて、応急処置をしてください。前に、なんか足を動かしたら治ったから、そういうのをやってみてもらえませんか」と医者に言ったそうだ。
医者は、半信半疑で「じゃぁ……」と、足を動かしたらしい。
すると、母が「治った!先生、治ったよ!」と言ったらしい。
足の動かし方としては、二つほど教えてもらったそうだ。

それでも、現在も、母は「また、ひきつったらどうしよう……足を動かしても治らなかったらどうしよう」と不安にまみれている。
わたしは「二つも治し方があるんだって考えようよ」と助言した。
それでも、やはり不安は残っている。
一回目の発作で落ち着いた後に、自主的に精密検査を受けていたことも伝えてきた。
「MRIを撮ったけど、原因は分からなかった」と。
リアルタイムな血流量や自律神経とか精神的な不安定さなんていうのはMRIには反映されないだろうし、慢性症状の処方薬の副作用かもしれないし、生活習慣によるものなのかもしれない。しかし、原因探しに偏る意識が優先されてしまう傾向にある。

周りで見守っている側としては、「運動した方がいいよ」とか「早寝早起きがいいらしいよ」とか「この本を読んだらいいよ」とか簡単に言えてしまう。
しかし、やはり、その身体をコントロールしている主体の内部から、どうにかしようと試行錯誤することの力を信用するしかないのだろう。
自分の身体の声を聴く、とは簡単に言えてしまうが、行動として実践することは、発作が起きても病気になっても、簡単にできるものではないのだ。
いろいろな過程を経て、自分自身を知ることの意味をつかんでいくのだ。


話を戻そう。糖質を意識した食生活についてだ。
その途上として、経過としての基準は何か。
体重やウエスト周りの数値が考えられるだろう。

実際、体重やウエスト周りに変化が出てきている。
わたしについて言えば、ウエスト周りは実感がイマイチだが、体重は小刻みに上下しつつも下降が優先されている。つまり、減量となっている。昨晩の計測ではここ3年いや5年?の中でも最低の数値であった。
夫は、職務上スーツを着用しており、ベルトを装着していて、ベルト穴が一番細めにしても緩く感じるらしい。ベルトの長さを短くして調整する方法もあるが、スーツ自体を買い換えしたいと言っていた。明らかに体型が変化した、ということだろう。

体型を整える営みは、体質を知る営みだ。
「ああ、お腹が鳴った。空腹なのだな。」みたいに当たり前なことの実感から、生活習慣が改善されていくのだろう。


KAZU |MAIL