ふつうっぽい日記
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2014年08月10日(日) 「解決の鍵は自分自身の中にある」

物語にするしかないのでそうしてみる。
その現象報告はあまりにも厳しすぎた。(わたしにとっては)
その現象を含む、社会問題としての統計とか実態は学術的テキスト的に触れてきた。
しかし、実際生活として身近な友人がその中心にいるということがとても切ない。
わたしに出来ることはないかとも巡るが、実態的に現実的にその現象が起こっていることを認めること、ただそれだけでもわたしにとっては厳しい作業である。

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A子は、A男と学生時代に知り合った。
2つ上の彼は、なんと出身高校が同じだった。
親近感が増した。
不器用に一人暮らしをしていた彼の部屋の掃除をしたり、料理を作ったりすることは、
「こんなわたしでもいいの」的に存在を認めてくれることがただただ嬉しくって、つきあって間もない頃にもかかわらず「結婚しよう」と言われたことは、当時はとても嬉しかった。
今思えば、その感覚は異様だ。
A子は、A男が初めてつきあう異性であった。
そして、今では高校生の子どもがいる。
A子もA男も医療関係専門職にあった。
結婚後、毎年のようにA子家族は引っ越しをした。
それはA男の仕事の不安定さの結果であった。
あるときは、17日くらいで仕事をやめた。
引っ越しの段ボールの多くはまだ解梱されていなかった。
A子は振り回されていた。
が、それもまた「妻のつとめ」的に自分を納得させていた。

そしてこういうことが続く。
A子は仕事のため自分のつてで医療施設で働くことを決めた。
A男は別の医療施設で職探しを進めていた様子であった。
A子は言われてしまう。
「○○に決まったから。お前も一緒にこい」
つまり、同じ職場で働くように指示されたのであった。
すでにA子は先方と面接の日も決めていたのにである。
A男の威圧感はすごかった。
逆らうと何をするか分からない。
A子はA男とともに同じ現場で働くことになった。
この関係は場所を変えても、現在も続いている。
A子は、ある時、ある芸能人のファンになった。
「ヨンさま」的な、「あるある」な状態であると思うが。(本当は違う芸能人であるが記号としてこう書く)
例えば、出演する映画を見たり、テレビを見たり、雑誌を見たりという類いの。
その行動にA男は多いに嫉妬したのである。
CDは割られ、雑誌の顔にはハサミで傷が入れられ、ビデオデッキも破壊された。
この様子を子どもも見ていて、号泣した。
そして、A男は、A子に暴力をふるった。

「今は、それほどでもない」と、A子は言ったが、明らかにあの現象である。

そしてA子は、心療内科でこう相談したという。
「離婚したいくらい憎らしい夫と一緒に眠るにあたって夫に不愉快な思いをさせないようにするためには、私はどうすればよいのですか。夫が言うんです。夜眠っている時に、夫が私を触った時、私は汚いものでも払いのけるように拒絶するそうなんです。無意識に。」

A子の中では一つの選択肢として「離婚」を考えているという。
考え始めたのは、今に始まったことではない。
子どもにもつぶやいたことがある。
「もしお母さんとお父さんが離婚したらどう思う?」と。
「そんなの分からないよ」と子どもは言ったそうだ。
暴力のことは、A男の両親にも訴えた。
ところが、
「嫁として、夫を立てるのは当たり前だ。
ヨン様的な趣味を優先させるとは何事か。
もう少し妻であるという自覚を持つべきだ。
ヨン様的な人は、所詮庶民に特別な気持ちを伝えてくる存在ではない。
無意味なことはやめるべきだ。
多少の暴力は嫁として我慢するしかない」という反応であった。
異様である。

A男には兄がいる。
兄嫁とA子は通ずるところがある。
つまり、兄弟気質的に似ていた。
そしてその両親に対しての違和感の共通理解があったのだ。
しかし違うことがある。
兄嫁は専門的な職業をしていない。(専業主婦的な立場にある)
よって、こう言われてしまう。
「私だったら、離婚するのに(どうして貴女はそうしないのか)」


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A子と初めて会ったのは10代だった。
25年来の付き合いだ。
毎年、年賀状は送り合っていた。
結婚はA子の方がたしか早くて、しばらく頻繁に住所が変わるという状況も気になってはいたが、そうやって居場所を伝えてくれることはありがたいことであり、私自身も20代〜30代はいろいろと慌ただしかったので「ありのまま」として通過させていたのだ。
年賀状に「会いたいね」ともしかしたら時々書いてくれてたのかもしれない。
たまたま、わたしが「是非会おう」と思ったのが今年であっただけで。

学校の学年同窓会の知らせが来たのもきっかけだったと思う。
「同窓会行く?」的な伺いをたてたハガキをA子に送ったのだから。
そのハガキには電話番号を書いておいた。
数日後に、A子から着信。
その時、わたしは電話に出られなかった。
留守電にメッセージが残っていた。
やはり「会いたいね」とあった。
翌日、私の方から同じような時間にかけてみた。
A子は出た。
そして、会う日を決めた。
その時に、
「実は、主人と同じ職場で働いていて…」と言い、
「実はヨン様が好きで…」と言った。
「ヨン様」はラジオ番組に出ておられて、その時間帯は「テープに録音したいから」家から出られないとも言った。そしてそのこと(ヨン様的番組を録音する)がご主人に「バレたら」「離婚」になるかもしれないとも言っていた。

第一感触として、「異様」であった。
冗談だろうとも思ったけれど。

4時間くらい喫茶店で話した。
ほとんど、わたしは聴くしかなかった。
ただただ、厳しい現実だと巡らせるしかなかった。

今思えば、そのとき、スマホで検索して、現実的な手だてを助言してもよかった。
しかし、それが行動として思いつかないほどにわたしはただただそこにいるしかなかったとも言える。

今思えば、A子の第一声は「知り合いに弁護士さんっていない?」であった。
後に語られる内容の解決への道であったのだ。
弁護士に相談してみるということが、彼女の中で活性化していて、それが意識化され行動として一歩を踏み出すのは彼女自身の選択である。

「解決の鍵は自分自身の中にある」というのは、ココロの師匠の言葉である。
その鍵の存在を気づかせるのが「聴く」側の役目なのであろう。
「君はこうすべきだ」と、強制するのは「A子」にとっての「A男」と変わらない。
「A子」が変わることへの支援は、「A子」の自己決定力、自己肯定感を見守ることだ。


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この現象的物語の切れっ端を我が夫にも少し語った。
我が夫はヨン様的なモノマネをして笑いに持ち込んでくれた。
わたしはしみじみと夫が夫でよかったと思った。

夫婦の数だけ家族の形がある。
物語がある。
「空気」がある。

比べたところで、「隣の芝生は青い」的ではある。
しかしながら、「わたしたちは楽しくやれている」とちょっとでもホッとするきっかけは、実のところささやかな比較であるのかもしれない。
「反面教師」的なお手本というか。
「反面教師」を「反面教師」として据えるプロセスでは、腹の中がかき混ぜられるような苦悩が伴うということも忘れないでいたいと思う。


KAZU |MAIL