ふつうっぽい日記
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2014年09月08日(月) |
「私」と「わたし」。 |
ある本。 すでに読んだのだが、例えばこういうフレーズがあったとかいう具体的なエピソードや記憶はほとんど残っていない。 今一度、見てみるか…… なんとなく、サラッと読み、ああと思った。 それでいいのだ、と思えた。
日々のお告げ的な言葉がある。 それによると「一つのサイクルが巡った」的なフレーズがあった。 「あの時から」という言葉もあったか。 どの時か……と個別なエピソードは思い出せないが、結びつけようと思ったらなんとなくできそうな感覚だ。
意識して「わたし」を使い始めてどれくらい経っただろう。 この日記的なタイトルに「わたしの誕生」を名づけたはずだ。 後から見てみよう。
「私」と「わたし」で問答。 対話することも出来そうだ。 「わたし」は柔軟なのだ。 そうであることを知った旅路。 「わたし」は「あの時」から様々な状況と向き合ってきた。 時に「逃げ」の姿もあったことだろう。 しかし、それは向き合った「行動」の見え方の一つにすぎない。 現象、見え方の向き合いつつの、現象としては、向き合いの姿勢ながらも事実と気持ち、情緒とどうにか分離させようと区別しようともがくこともやってきた。 ある種の解離。 とつ弁になったり多弁になったりもした。 文体も型にはめたり、自由連想的な風を意識したりしてきた。 日々実践であった。
自由。 「私」と「わたし」。 いや、役割を決めてもいいのだ。 他ならぬ、私の中だ。
「私」は代表だ。やはり。
そして「わたし」はどうにか頼もしく支える存在。 そう、「わたし」は知っているのだ。 臆病な、自信のない、「私」のことも。 繋がったね、出てこれたね、「私」。
スッキリしてきたよね?!
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