ふつうっぽい日記
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嫌いな言葉、苦手な言葉がある。 それらを受容する工夫について考えてみた。 そのことばを含んだ本を読んでみる。 言葉(表現)の八方美人になる。
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Aさんは昭和10年代の生まれ。 「未熟児」であった。 そのためだろうとAさん自身は言っていたが、出生届は2ヶ月くらい後であったという。 よって、出生の正確な日時については知らないのだと言った。 Aさんはその長女の小ささを表現する時、「ポケットに入った」くらいだと表現した。 その長女については、未熟児であったという類の判定はない。 なるほど、自身のコンプレックス的な「未熟児」「小ささ」を我が子に投影して、それを受容することで自身のコンプレックスを解き放つことに成功したともいえるか。 ここで「未熟児」であるという自覚について考えてみよう。 「Aは未熟児だったから……」という表現は、おそらく両親や長子などによって語られてきたのだろう。「未熟」という言葉は何かと比較して劣っているような印象を持ってしまいそうになる。 広い視点に立てば、多くの統計を取れば、戦中戦後、そのような特徴を持った子は、多くあったはずだ。しかし、これは平和的な今であればこそ強く思えることでもある。
ーーー 今日は、眠さとの闘いだった。 横になってみるが、かといって潔く熟睡できるわけでもなく。 純粋な眠さとは違う感じであり、涙も出てきた。 といって、濃い絶望的な不安や心配が迫ってくるというわけではない。 まるで、過去を書き換えているような、同じエピソードを異なる視点からみつめ直しているような……。
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