冬の夕日はあざやかで、無性に悲しくなるのはどうしてだろう。 もう、大人になってしまったから、素直に「キレイ」と言えなかった。
「ダレカノタメ」
大義名分でこの言葉いうの、やめにしませんか?
弱いものやみんなの共用するものを大事にする。 大切で、良いことですね。 でも、矢面に立たせてわめいている人は、そんな良いことをダシにしている。
「あなたの我侭と世界の平和。どっちが大切なの?」 って聞かれて、「我侭」とは答えづらい。 それでも私は、「平和」とは答えない。 ひねて答える。
「どっちも」
同じ秤で計るものではないから、比べることは出来ないよ。
前置き長くなりました。 今日は久しぶりに古本屋に行ってまいりました。 古本屋にはこのところ足が遠のいています。
理由は某大手の 「古本は地球資源の保護のため〜〜」 と店内放送を繰り返しているところです。
言っている理屈はわかります。 でも、これだけ大きく全国チェーン化していると膨大な本を扱っていますよね。 中には、その月に出た新書も置いてあるくらいです。 同じ中身なら、高いものより安いほうを選んでしまうけど、
古本をいくら買っても、出版元や作家様には1円もお金が行かない。
泣いたり、笑ったりするすばらしい本を創ってくれた人には何も行かない。 あの店内放送を聞くたびに、言い訳がましくて腹が立ってくる。
たとえば、学校で、 「クラスの平和のためにあなたをいじめることにしました」 こんなことを言われて、あなたは首を縦に振りますか?
大義名分を抱えなければ人はついてこない。 だけど、踏み荒らした草花を見ない振りしていると、そのうち何も生えない砂漠になっちゃうよ。
優しさは本当にキレイなのに、自分から自慢するのはすごく醜く見える。 声高らかに言っていると、「ダレカノタメ」じゃなく、「ダレカノセイ」にしていません?
結局、本を買わなかった。 誰のためでなく、自分のために。
追記:書いている途中で寝てしまいました。もう、朝の6時?やばいなあ(汗)とりあえず、このまま転写するので校正は明日。
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