世界が変えられるとしたら、誰かじゃなく、自分が変えるんだ。
7日の日記、タイトル付け忘れたあまつばめです。 頭、ぐちゃぐちゃのときにつくったものだから、名無しなのいいかも。 そう思いつつも、これを書いたらタイトルつけに行こうっと。
今日は一日、何にもしていません。 息くらいはしていたのだろうけど、部屋でボーっと一日中いました。 それで、思い浮かんだことを書きなぐったりしていたのですけど・・・・・・・・・いまいち、文にならない。 単語、単語、また単語。ひたすら単語だけが並んでいて、文章にできないものばかり。 まあ、それでも、文章になったのが↓です。
^^^^^^^^^^^ 小さな子供を見ていると、ぶつかったり、転んだりしてばかりだ。 急に走り出してはぶつかり、立ち上がっては転ぶ。 全速疾走のまま壁に衝突するさまは、見ているほうが痛くなる。 パカーンと盛大な音を響かせて、今日も、また、転ぶ。
それでもって、よく泣く。 盛大に泣く子、半べそでがまんする子。 ひとしきり、泣くとけろりと忘れて、また駆け出す。 たまに、へっちゃらな子もいて、転んですぐに駆け出している。
子供達はどうすれば転ばないか、ぶつかってしまわないか、ひいては痛い目にあわないか、知らない。 大人の眼から見て、ゆっくり歩けばいいことや、下を見て歩くことを教えたくなる。 でも、子供の目線からは、走り出したくなるようなものが転がっている。 それを見つけて走り出してしまうのだ。 痛い目にあうことよりも、優先順位が高いものだらけなのだ。
子供達は、知らないことを知りたがる。 自分が十分に知らないことを、体全体でわかっている。 だから、どんなことでも足止めにならず、走り回って知りたがる。
子供と話していると、幻想的なことを言う。 ダンボール箱がクルマやお城になったり、マジックで書いた動物達がしゃべったりと、魔法のようなお話ばかりだ。 体全部を使って、説明してくれる。 聞き流してしまうと本気で怒る。 嘘だというと、本当だと必死で説明する。 全部、自分が見てきたものを信じている。
子供達は嘘をつかない。 つたない言葉かもしれないが、知っていること全部使って表現する。 大人のルールからは冗談に聞こえることも、本気の塊だ。
私は子供と比べて、どのくらいエライのだろう。 確かに、子供より多くのことを知っているかもしれない。 伊達や酔狂で、20年以上生きている。 大半をボーっとすごしながら、なんとなしに知識を得てはいる。 聞かれれば自信を持って答えられることも少しながらある。
それでも、知らないことのほうが圧倒的の多い。
知らないことがでてきて、それにぶつかっていったか? 違う。ぶつかるのが嫌で、理由をつけて逃げている。 痛い目にあわないのが賢い選択だと、ブレーキをかけている。 そうやって学んだきたことは、
努力したって報われない。信じたところで裏切られるだけ。
だからといって、何もしなくて手に入れられたものは、何もなかった。 子供のころ知りたかったのは、そんなくだらないことじゃない。 こんなことを知りたかったはずでない。
エラブっている奴らが、どれだけエライのだろう。 自分がバカだってことを知っているのだろうか。 子供に劣る大人のエライ。 こんなんだから、大人はエライ。
^^^^^^^^^^^^^ どうも、蛇足的に長くなる。 まとまらないので、今宵はこれまで。 ゆっくり寝たいなあ。
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