高すぎると手が届かず、 低すぎると屈まなければいけず、 適当が見つからない。
こんばんは。あまつばめです。 履き始めて4日の靴で歩き回ったのですが、靴ズレもしなければ疲れも少なかった。 靴がすごく幅広で不恰好ですが、足にあっているようです。 2千円の安物なのでお買い得でした。
お買い得。 今日、お買い得なもので、ちょっと理不尽に怒っています。 その話に入る前に、この童話を読んでください。
昔々のことです。 ある町の宝石店店主の庭から、大量の原石が出ました。 大きい上に質も良く、ものすごい価値のある宝石ができるものでした。 さっそく、それを採掘して、細工をして売り出すことにしました。 ところが、その宝石店の店主、欲がないことで有名な人でした。 宝石を使った費用に、ほんの少しの利益を加えて売ることにしました。 なるべくたくさんの人に宝石の価値を知ってほしかったのです。 それはすごく安い値段になりました。 他の町の宝石店に比べてただ同然の値段でした。
最初はその町の人が買いました。 本当は高価な宝石なので、知らない人に自慢しました。 そして、何人かが「町の宝石店ですごく安く売っているのよ」と、口を滑らせました。 聞きつけた人は「私もほしい」と買いに来ました。 その噂は繰り返され、すぐに国中に広がりました。 こうして、たくさんの人がこの店に買いに来ました。 特に興味がない人も、安いからといって買って行きました。。
その中に、ある女の子が指輪を買ってもらいました。きらきら光る小さな指輪。値段でなくデザインが気にいったのです。それは売っている中でもみすぼらしく安い指輪でした。母親に「おかあさん、わたし、まいにちいえのてつだいするから、このゆびわ、かって」とねだりました。母親は、「こんなにやすいのなら」とその指輪を買ってくれました。「大切にするんだよ」と言って。 女の子は大変に喜び、毎日眺めていました。 女の子は宝物のように毎日磨いていました。 彼女にとってそれは本当に非の打ちようのないキレイなものだったのです。
1年の月日が流れました。 みんなの宝石を見る目が変わりました。 宝石というものは希少価値があるから意味があるのです。 そこらへんに転がっている石は、どんなにキレイでも、世間では価値のないものにされてしまいます。 結果としてこの宝石がガラス玉と同じ価値になってしまいました。
買った人のほとんどは、ろくに手入れをせず輝きが失せてしまいました。 安くて、輝きが失った装飾品に価値はありません。 何人もの人が宝石を捨てました。 そして、宝石店に向かって「よくもだましたわね」と怒鳴った人もいました。
女の子は悲しかったです。 彼女のつけている指輪は、買ったときよりも美しい輝きを持っています。 それでも、周囲の人は「そんな安物、持っているだけで恥ずかしい」とひどいことを言います。 彼女自身がキレイと思ったもの。それが金額としてしか見られないことを。
宝石の価値を、本当にわかっているのは、ずっと磨きつづけた彼女だけなのかもしれません。
今、即興で作ってみました。 キレイにまとめてしまいましたが、誰も幸せにならない話です。 どのように感じましたか?
今日のお買い得なものは、たった100円のものです。 作る過程や費用を考えると100円で出来上がるものでないと思います。 現にそれよりお金のかかっていないものを高い値段で売っているのが普通でした。 中の質が悪ければ「こんなものだ」と納得できるのですが、しっかりとしたものです。 安く買えるのは嬉しいけど、もっと高く売ってほしいものです。
変ですね。 買い手が売り手に「高くしろ」と言いたくなるなんて。 それでも、自分が好きなものを安売りされるたくない。
連絡先があるので、このことを送ってみます。 ただのワガママなので返事が来るとは思いません。 けど、そうしないと納得がいかないのです。
こんなことを考えている時点で、お買い得でなくなっていると思うこともあります。でも、その品物とこの考えは切り離して考えることにしましょう。
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