2001年12月29日(土) |
どうしてガラスは割れたのか? |
過去という名の地図を持つ、 今という名の旅人は、 未来という名の道を歩む。
こんばんは、あまつばめです。 今日は一日、本を読んだり、本を読んだり、本を読んだりしていました。 年末年始に発行される本が多いこと、多いこと。 冬休み中に読めということでしょう。 食事を除いて本を手放さなかった気がします。
ちょっと、過去の話をさせてください。 もう、10年以上昔の話。私が中学生のときのことです。 ほとんどの学校がそうだと思いますが、2階以上の教室にはベランダがついています。 そこには柵もあり、非常時には脱出路になるところです。 安全を配慮して、普段は出てはいけない場所です。 ただ、この年代はやってはいけないと言われると、逆にやってみたくなるもので・・・・・・
ある寒い日の休み時間。 いつものようにベランダに出ている子がいました。 ベランダに出た理由はありませんでした。それでも理由をあげるなら、外の空気がすいたくなったということぐらいでしょう。10分の休み時間では外まで行って戻ってくる時間には短すぎます。窓を開けても良かったのですが、冷たい空気が入るのを嫌う人もいたので、ベランダに出ることにしました。 予鈴がなり、教室に戻ろうとしました。 人が出入りできる扉に手をかけると、何人かが笑っていました。 その子は気づきました。ベランダに残っていたのが自分ひとりになっていたことを。
油断をしていました。 他の人がいるから変なことはしない。 そんな安心感と、太陽のにおいに気を許し、ボーっとしていたのです。 次の授業は生活指導の先生の授業。 この状態が見つかれば、口うるさい説教があるのは確実でした。 「あけて。いれてよ」 そう言ってサッシを叩きましたが、指差し笑うだけであけてくれません。 やがて、先生が来ました。
最初はその子もしゃがんで隠れました。 見つかって怒られるのが怖かったのです。 でも、そんな状態になっても、ベランダと教室を隔てる扉には鍵がかかったままです。 理不尽さにいらだちます。 自分が怒られることは理由がわかります。出てはいけないところに出ているのですから。 でも、扉を閉めた人のせいで、のけ者にされた。教室に戻れない。寒い中にいることより、暖かい部屋の中で授業を受けている人のことが納得できなかったのです。
立ち上がって、窓を叩きました。 自分がそこにいることを証明するために。
怒っていて力が入っていたのでしょう。 叩く場所も、ガラス部分でなければよかったのです。 叩いた直後、窓ガラスが1枚、割れました。
その後、ガラスを割った子とかぎを閉めた人達(6人)が呼び出され、授業はつぶれました。
罰則ですが、ガラス代は、割った子とかぎを閉めた人達で半々。 ガラスを割ると用務員さんの手伝いをするのですが、割った子は1週間、かぎを閉めた人達は1日ずつでした。
この罰は適切か? 不適切か? 悩みました。
意思があるなしに関系なく、ガラスは割れています。 誰も割ろうしたのでなく、結果的に割れてしまっただけです。
原因はベランダに出たことと、かぎを閉めたこと。 だから罪を半々にした。
しっかりとした理屈が通る話です。 でも、いまだに納得がいきません。
ガラスを割った子はみんなの前で、 「ガラスを割ってすみませんでした」 と謝罪させられました。 かぎを閉めた人達は誰かに謝ったわけではありませんでした。 ここだけ不平等です。
まあ、いいか。 本気で悪いと思ったのは窓に近かった人だけで、後は見捨てた人たちで、私も気持ちこめて謝らなかったし。
掌って意外に固いものですね。 思っている以上にいろいろなものを壊しました。 静寂も、馴れ合いも、見下す視線も。
あの時割れたのは、ガラスじゃなく、誰かをあざ笑って手に入れた、そんな日常でほしかったです。
追記:本気で悪いと思ったのは、開口一番に
「手、だいじょうぶ?」
と聞かれたからです。
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