宇宙人がやってきた
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2001年12月14日(金) Time after time

結婚も遅かったが、妊娠も遅かったので
コータが生まれた時は、いい年になっていた。夫も同じ。

障害児である我が子。
“親亡き後”は、いつでも頭の片隅にある。

私の母が他界した時、弟はまだ小学生だった。
自宅で、通夜、葬式を出した。
弟は通夜の間中、私のスカートの端を握りしめていた。
親戚の子供たちが、ドタバタと家中を走り回る。

「おねえちゃん・・」
私を見上げる目に、涙が溜まっている。

私たちの母は、きれい好きで、1日中クルクルと働き
家の中は、いつでもピカピカだった。

知らない大人が、何人も出入りし、知らない子供たちが、騒いでいる。
泥や、食べこぼしで床が汚れていく。
母が、毎日磨いていた床。

「今日は、仕方ないのよ」
母を失った悲しみで、余裕のない私は、そんな言い方しかできなかった。

しばらくクスンクスンと、泣いていた弟は
小さな手で、雑巾がけを始めた。
ぽとぽと、と涙が床に落ちるたびに、ゴシゴシ、と雑巾で拭いている。
自分を取り巻く悲しみへの、せいいっぱいの抗議だったのかもしれない。
あの日の彼の姿は、20年近くたった今も、私の心から消えない。

夫と、「いつか、田舎で暮らそうね。」と話すことがある。
コータといっしょに、楽しく暮らせるところ。
海がいいかな。山がいいかな。温泉もいいね。
コータのことを考えたら、外国の方がいいかな。
アメリカは、もっとうんとバリア・フリーだしね・・って。

だけど、いつまでいっしょに、いられるかな。
その頃には、もっと医学が進歩して
ガンも脳溢血も心筋梗塞も、全部チャチャッと治るといいね。
・・・子供たちに、あの日の弟のような悲しみは、与えたくないから・・・


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