Opportunity knocks
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2002年01月06日(日) スクーリング5日目

スクーリング5日目の朝。
雪の影響を考えて、いつもの「ひかり」ではなく、始発の「のぞみ」に乗ることにした。関が原、米原のあたりはやはり雪が降っていた。窓に雪があたって、しゃらしゃらと音をたてる。すごく寒そうな音。
山を越えて京都が近づくにつれ、雪が少なくなっていった。こんな短時間のうちに景色が変わっていく事にあらためて驚く。日本ってこういう国なんだよな、としみじみ思った。

結局、30分足らずで京都に着いた。いつものようにバスに乗って、大学へ。
雪の影響が殆どなかったため、予定してた時間よりもだいぶ早く着いた。
時間に余裕があったので大学の構内にある本屋をのぞく。
学生証の提示で本代が10%OFFになるらしい。講義関係の参考書や教科書が多いため、普通の書籍を置くスペースが少ないので、特に買いたい本は見つからなかった。注文は受け付けてくれるみたいなので、また次の機会に利用しようと思う。

今日の午前の講義は、体育実技。
なんと、創作ダンス。7〜8人のグループに分かれ、踊りを考え、グループごとに発表する。そのまえにかなりの時間をかけてストレッチをし、いくつかダンスのパターンを練習する。それをいくつか組み合わせて3分程度のダンスを踊るらしい。
それぞれ思考錯誤しながら、ダンスを創作していく。そして発表。
それぞれのグループに特長がでて、短い時間ながら楽しく創作ダンスをすることができたみたい。楽しむこと、楽しさを知ること、それがこの講義の主な目的だとすれば、それはかなり達成されたのではないかと思う。

お昼は教育学部のFさんと一緒にいつもの食堂へ。
390円の日替わりランチと350円のクリームコロッケランチをそれぞれ頼んで
席につく。お正月の話や、午後からの講義のことについて話す。Fさんの午後の講義を担当している教授は、とてもユニークな人らしい。講義もテキストは殆ど無視で、教育関係のテーマを提起し、ディスカッション形式で進めていくそう。
「いいね、そういう授業。良い先生で良かったやん」と私がいうと、
「うん、ええ先生やよ。初日の講義、20分ほど遅刻しはったけどな(笑)」(笑)

午後の講義のまえに外をみたら、雪が降っていた。
午後の講義はひきつづき北條民雄の作品について。
先生は、北條民雄の文学と社会のつながりについてを講義の主軸にしているので、
今日も癩院の存在が社会的にどんな意味を持っていたのかという話や、北條民雄の文学と他の癩文学はどのように違っていたのかという話などを中心に講義が進んでいった。癩病については、いろいろな作家が作品の中で取り上げている。
最近では平野啓一郎、京極夏彦、遠藤周作、古くは福沢諭吉、尾崎紅葉、高村光太郎、泉鏡花、小栗風葉などなど。その中でも小川正子、という人が書いた文学についての話が興味深かった。小川正子は、ハンセン病というものを北條民雄とはまったく違う側面からとらえた作家である。ハンセン病は当時、国家的な対応を余儀なくされるほどの社会的な問題になっていた。ちょうど今から戦争に突入していこうとしている時期で、ハンセン病という病気はそのような国家の気運をそぐものであったし、国としてはハンセン病患者は何というか、目の上のこぶのような存在だったのである。そのため国は、実際に事実とは違うにも関わらず、ハンセン病は遺伝病であり、なおかつ、強い伝染性を持っているという誤った事実を広く広め、非患者である普通の国民をプロパガンダし、全国からハンセン病患者をいぶりだし、官憲などの力も総動員して強制的に療養所へ送ったのである。実際にハンセン病は伝染性の病気であるけれど、その感染力は非常に弱く、菌自体も体外にでるとすぐ死滅してしまうという弱いもの。遺伝病であるという誤った事実は、ハンセン病患者の家族を酷く苦しめ、さらにハンセン病患者の家族は、子孫を残せないように(あらたな患者を作り出せないように)優性手術を施すべきだ、などという非人間的なことも言われるようになったのである。
小川正子はそういった国家の側について運動をしていた人で、ハンセン病患者は国家に保護されているのだ、ということを強く人々に説いてまわっていたらしい。彼女は彼女なりに正しいことをしているのだという確信があったのだろうと思う。それ自体を非難する事はできない。しかし、あらためて大きな力が生み出す流れみたいなものの強固さを実感した。実際に人々は小川正子が書いたものや国のプロパガンダに大きく影響され、ハンセン病患者に対して不当な仕打ちを繰り返していたのである。
講義を聴きながら、これは何かに似ているなと考えていてふと気付いた。
後天性免疫不全症候群(AIDS)。。
当時の人々はハンセン病の実態を知るすべがなかった。病気そのものがどういうものであるのかを知らなかった。無知というものが作り出す弊害が事態を悪くさせていたのである。現代もそのような弊害があるといえるのではないのだろうか?
無知であるがゆえに、イメージを目の前にだされると容易にそれを受け入れてしまう。イメージが先行し、本質に近づけないという点で、AIDSとハンセン病は酷似しているような気がする。 (・・・・・・なんだかレポート調になってきた)

講義が終わり、待ち合わせていたMさんと一緒に京都駅までいく。
講義の話や、帰省先の青森のことなど話す。
来週はMさんの恋人が一緒にくるそうなので、昼ご飯を一緒にしようと約束する。
Mさんがとても素敵な人なだけに、彼女の恋人に会えるのがすごく楽しみ。
京都駅に着いて、Mさんは大阪へ、わたしは名古屋へ向かう。
帰りの新幹線はものすごい混み様。通路にもデッキにも人があふれている。
人いきれで気分が悪くなってダウン寸前になりながらも、無事に帰宅することが
できた。

ウチに帰ると連れ合いが、食事の用意をしてくれていた。連れ合いは何をするにも器用で要領の良い人で、料理も私より上手。(あんまり面と向かってほめないけど)七草粥と鯖の味噌煮をたべる。とてもおいしい。
コドモが、「かあさんっ、きいて!」といって、七草粥の七草をそらで言い始めた。間違い無く七ついうことができて、得意そうに笑う。
「すごいっつ!、よく覚えたね!かあさんも知らないのにっ!」
とほめてあげると、「そんなのかんたん、かんたん」なんていいながら、ますます
得意そうに笑った。

食事の片づけをして、オフロに入ったあと、綾戸智絵さんと山下洋輔のコンサートのドキュメントを見る。綾戸さんと山下洋輔のピアノバトルに感動。
山下洋輔はまるで何かと格闘するかのようにピアノを弾く。ピアノは鍵盤楽器というより打楽器だというくらい、その演奏は激しく心を打つ。
それに較べて綾戸さんのピアノは同じように衝撃的なんだけど、ちょっと違う。
どういったらいいのかな・・・山下洋輔のピアノが外側から直接的にがんがん響いてくるのと対照的に、綾戸さんのピアノは、自分の内面から感情をずるずる引き出される感じ。そんな2人が、グランドピアノをはさんでセッション・・・
その場にいた人はかなりシアワセな人達だろうと思う。私もその場にいたかった。

そんな感じでスクーリングの5日目が終わった。
あと1日。学ぶ機会を与えてくれた人のためにも、
いろんな知識を吸収して、自分の糧にしていきたい。



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