Opportunity knocks
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2006年12月03日(日) 冬季スクーリング1日目

朝、眠い目をこすりながら始発の電車に乗って京都へ。
電車に乗る前は真っ暗だった空が、だんだん水でといたように薄くなっていって、七時前には綺麗な朝焼けの空になった。
でもこれは完璧に冬型の空。寒い一日になりそう。
7時40分京都着。西大路経由の市バスに乗って大学まで。
スクーリングも数をかぞえてだいぶ慣れてきたのか、特になんの感興も無く教室配当表をもらって指定の教室へ入る。

午前の講義は近世文学購読。近世の出版事情について勉強する。
近世以前、つまり16世紀中頃以前、文学作品は人の手でひとつひとつ写本されて世の中に伝えられていた。今のように数々の出版会社が林立して、システマティックに文学作品が世に送りだされる時代には考えられないような世界がそこにはあったらしい。
先生は膨大な書物を写本するということを大掛かりな伝言ゲームに例えられていたけれど、文字を書くということさえも特別だった時代のことを考えればそれも頷けるような気がする。
今わたしたちが認知している平安時代の物語、例えば源氏物語なんかも、いろんなバリエーションのものが保存されているとのこと。
つまり、わたしたちが今現在源氏物語だと思っている書物は平安時代から写本として語り継がれてきた一つのものにすぎないわけで、どこかの偉い文学者か役所の人が、数ある源氏物語の中から、「うーんこれがなんとなく立派で筋書きが整っていて良さそうだから、これにしときましょう」という感じで選んだのが今の源氏物語なのだそう。ということはよくよく考えると原作は原作の形をもはや留めていないと考えられるわけで、もしかしたら源氏は最初の時点では全く違うお話だったということも考えられる。わたしだったら写本の途中でいろいろ自分風にアレンジしちゃうかもしれないしなあ。そういうものが後世に伝わった可能性もないとは言えない。そう考えると、歴史というものは膨大な時間の積み重ねであるということがよく実感できる。

で、近世の出版事情に話を戻すと、書物の出版が写本という形から版本という形になったのは17世紀の初頭ぐらいからであるらしい。
小さな版木をひとつひとつ組み合わせて刷ったもの、つまり凸印刷が最初だったのが、しだいに原稿自体をひとつの大きな版木に彫ったものを印刷する凹版印刷へと変わっていったとのこと。短時間に大量の複製ができるにしたがって、文学というものの存在も次第に変遷していくわけで、そういうプロセスがとても面白いなあと講義をききながら思った。先生は最初は教授然とした感じだったのだけど、だんだん関西弁が強烈になってきて、「わかるやろー、ここはこうなってこうなって、だからこうなるんやでー、おもろいやろー!」と明らかに上方芸人ののりになってきて、それも聴いていてたのしかった。来週の講義もたのしみ。

午後はお昼をはさんで、近世文学研究の講義。井原西鶴の「好色五人女」。
「好色五人女」は実際にあった江戸時代の実話をもとに西鶴が書いたお話で、姦通やら密通やら情死やらそんなことがたくさん書かれている。八百屋お七なんかは浄瑠璃とか文楽でよく上演されているから結構有名かな。
物語の内容はともかく、その文学の成り立ちや、当時どのようにその読み物が読まれていたのかなど学術的な面でいろいろ興味がひかれるので、しっかり講義を聴いていきたいと思う。

5時半に講義が終わってすぐ京都駅へ。
バスで帰るつもりでチケットセンターにいったらもうすでに満席だとのこと。
仕方ないのでいちばんはやい新幹線で行く事にしたのだけど、そちらも乗車率100%以上で、結局名古屋まで座れずじまいだった。やっぱり12月はいろいろとせわしいのかもしれない。

今週は週末にRさん宅にお邪魔する予定!ずうずうしくお邪魔してもいいのかなー・・とも思うのだけど、タイミング的に機会を逃すといつまたそういう機会があるかわからないので、おもいきって伺うことにした。でもとてもとてもたのしみ!それまで体調ととのえて、年末のあれこれもいろいろ少しずつやっておこうとおもう。大掃除とか年賀状書きとか。がんばらなきゃ。



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