2001年05月15日(火) |
「春の一日」について。 |
インディアンのある一族の中には、 「春に死ぬものは天国には行けない」 という言葉が有るそうだ。 すベての物が一斉に芽生えるときに、 「死」というものを持ち込むのはタブーであるという。
先日、久し振りに火事を見た。 古い木造建築が多い、今住んでいる地区では、 冬よりもむしろ、 朝夜の寒暖の差が大きい4月5月頃が 火事の発生率が高い。 この前見た火事も、そんな昔の木の家で、 久しく人が住んでいなかったものだったので、 はでに燃えるだけ燃えて、 後には何も残さず消えてしまった。
何の脈絡も、関係もない春の風景だが、 わたしの目には春と言うものは「新しい」というより、 いつも「再生」という言葉が思い浮かぶ。 「復活」と言い換えてもいい。
なにか大切な根っこのようなものは、 いつも、冬の間もどこかに隠れていて、 春という名の元に、 なにかの犠牲のかわりに出てくるのだと、 いつも思っていた。
今日、鮮やかな紅色に輝く櫻を見ながら思い出したこと。
「櫻の下には屍体が埋っている」 かの有名な坂口安吾のある一節。
そんな、春の一日。
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