公園帰りに、ご近所のHさんとすれ違った。 カラス天狗みたいな、三角に尖ったマスクで目の下からアゴまですっぽり覆っていて、一瞬彼女と気付かなかった。 ※かくいう私も、おとといから花粉症対策でマスクをつけている。娘が私の顔を見るたび「こんこんこんこんくしゃん」と唄っては笑う。笑いが取れて嬉しい。
3月末に引っ越すことを伝えると、夕方にもうひとりのご近所さんYさんと共にやってきて、来週辺りお祝い兼送別会のお昼ご飯を食べましょう、と言ってくれた。 やや、有り難や。
引っ越す理由とは関係なく、わたしはお隣さんに壁を叩かれていることを彼女達に話した。以前いびきがうるさいという苦情の手紙を、お隣さんから受け取った、と私が思っていることを、Hさんは知っている。
お隣さんの玄関ドアには、ぴかちゅうのキャラクターと思われるマグネットが5つ6つ貼ってあるので、Hさんとの間で彼女は「ぴかちゅう」と呼ばれている。 夫婦二人だけと思われるのに、ぴかちゅうのマグネット。個人の嗜好ですからね、別にいいんですけどね。
ひとしきりぴかちゅうさん関連の、私のため息まじりの話を聞いていたYさん、「さばさんところは車に傷付けられない?」と尋ねてきた。
ああ、十円玉でぎーーーっていうの、ボンネットに30センチくらい付けられた。 でもそれは、ぴかちゅうさんとは関係なく、通りすがりのタチの悪いいたずらだと思っている、と私。ずいぶん前の出来事だし。
うちは通りに面したところに駐車しているから、やろうと思えば誰にでもできる。 ところが、Yさんの車は奥まった位置に停めているにもかかわらず、何度も被害に遭ったのだという。繰り返し、繰り返し。
新車にしてからも、傷付けられたんだって、と、話を引き取ってHさんが続けた。
そして、ぴかちゅうさんとは反対側のお隣、Aさん夫妻が引っ越してから、その被害がぴたりと止んだというのだ。
びっくりした。
Aさん夫妻に対して、そんな疑いを持っているなんて。
隣人としてのAさんは、ごく普通の感覚を持った人に思えた。 りんごやお菓子がたくさん届いたといってはお裾分けを頂き、こちらが娘の夜泣きをエクスキューズすると、全然聞こえない、わたしたち寝付きはすごくいいの、お互い様だもの、うちこそうるさくて御免、と笑顔で逆に謝ってくれた。
あの人がそんなことするわけない。
と喉まで出掛かって、私はそれを飲みこんでしまった。
目の前にいるYさんは、そう信じている様子。 Hさんは、さあどうだか、と中立的ながら、Yさんに対して同情の念を寄せている。
そんなふうなことする人には見えなかったけど、とだけ、言った。
HさんもYさんも、ご近所さんとして気持ちよくおつきあいしている。 だけど、いなくなったAさんは反論も出来ないし、彼女は善人だった、と断言できない自分ももどかしく、なんだろうなあ、少し気が重くなってしまった。
Aさんのこと、私はどれだけ知っているというのだろう。 自分はYさんに面と向かって反論できないとわかって、そんなことを考えた。
私たち家族が引っ越していったあと、誰かが「これで被害がなくなった」って喜ぶのかな、なんて冗談めかして言ったけど、HさんYさんとの玄関先トークで、私はすっかり指先が冷たくなってしまった。
わたしたちってば、憶測だけで物を云っちゃってるなあ。
憶測で物を云う。確たる証もなく。 それこそが、ご近所トーク、玄関先トークの神髄か。
人の口に戸は立てられぬとはよく言ったもんだ。はあ。
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