大阪の義母から娘に卒園と入学にむけて手紙とお祝いが届いた。ので、とっくに届いてたランドセル、隠しておいたのを取り出して、娘に手渡した。ランドセル、大阪のじいじとばあばからのお祝いなんだもんね。封印(←大げさ)しておいたのだ。
まー、娘の喜びようったら。「わーい!」と「村の子ども1」化して、ランドセルを背負ったり下ろしたり、背負ったり下ろしたり、中を確かめたり開け閉めしたり、説明書を読み聞かせてくれたり。
ほほう、そんなにうれしいのかね。
カーサン自分自身がランドセルで狂喜乱舞した記憶が一切ないのでとても新鮮。茫洋としているんですなあ。ほんとにぼーっとした子どもだったからなあ。
ランドセル背負ったまま「おかあさんは初めて小学校行くとき泣いた?」とか訊いてくる。
そうねえ。泣いた覚えはないけど、疑問だらけの新一年生だったなあ。なんで急に一人で(送り迎え無しでという意味)小学校というところに行かなくてはいけないのか、さっぱり理解できなかった。なんで毎日毎日。家に居るほうがよかった。
たしかいっぺん、登校途中で「今日は行かなくてもいっか」と勝手に思って、家に帰ってしまったこともあったっけ。
一人で帰る道の景色とか、ランドセルの金具が歩くたびにかちゃかちゃ言う音とかは覚えてるけど、帰ったあとのことはこれまた全く記憶にない。
そんなことしたら叱られるか、驚かれるか、なんかしら親の反応があって、覚えていそうなものだが。
…家に帰ろうとして、そのまた途中で気が変わったのかなあ。結局登校したとかいうオチだったのだろうか。
まあ、そんなような、全く覇気のない思い出話を一通り聞いて、娘はどう反応したらよいのかわからないという顔をしていた。
「おかあさんたらだめねえ」とも言えず、なんとなく「えええー」という短い一言に「そんな馬鹿な」な気持ちをこめるのみ。
あなたは今日の喜びを、ずっと覚えているのかしら。そうであってほしいなと、ぼーっとしたまま大人になってしまったカーサンは思うのであった。
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