、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
月曜日に大阪出張なので、日曜日のうちに関西に先回り。
ここ7、8年顔を出していない奈良に
いってみた。
ことしは、大仏開眼1250年の記念イベントがあるからだ。
久しぶりに拝んだ大仏さんは、
昔と代わらず、微笑んでいらっしゃった。
はじめて拝んだのは小学校5年生のとき、
「大仏さんがにらんでる〜」と、私が両親に言ったのを
いまだに覚えている。
執金剛神立像は、毎年12月16日にしか、
厨子の扉を開かない秘仏なので、
今回見逃したら、次にお会いするのはいつなのやら・・
そんなわけで、いそいそと東大寺三月堂へ行く。
ずっと秘仏だったからだろうけど、
まだ、製作当時の色が残っていた。
このお堂ができた当時は、金色に輝く仏像に囲まれ、
仏国土とはさもありなんという、
様相を呈していたのだろう。
春日大社に参拝に行き(昔はただで本殿前に行けたようなきがする・・・)、
奈良国立博物館へ。
東大寺のすべて展、正倉院展級の混み具合を覚悟していたんだけど、
思ったより人は多くなかった。
奈良時代から江戸時代に至るまでの関係史料をずらっと並べていたんだけど、
さっきの執金剛神立像といい、この後みた興福寺の阿修羅像といい、
僕は、「塑造」をすきすき〜と思いながら見ていた。
東大寺南大門の金剛力士像のような、鎌倉時代の仏像に見られる写実表現が、
力強さの表現とするならば、
これらの奈良時代の仏像は、やさしさの表現だなぁ・・・とおもう。
体の線が全体的に丸く、肌がつやつやしていて、顔も穏やか。
天平時代の仏像は、基本的にやさしい顔をしているとおもう。
もちろん、執金剛神立像のような、仏法の守護神のかおは
怖い顔なんだけど、怖さが全面には出てこない。
印象としては、
金剛力士像が大人の男なら、奈良時代の仏像は少年といったところ。
意外とのんびりと展示を楽しんだ後、
興福寺→ならまちと散策して、大阪へむかう。
月曜日は午後から大阪で仕事。
そのあとは、京都に行くかなぁ、やっぱり。
ところで、
東大寺のすべて展で金泥のお経を見ていたオバさんが、
「こういう金文字って、泥でかいているんだぁ」と感動していらっしゃいました。
あのね、金泥というのは、泥ではないんですよ・・・。
本当に泥だったら、こんなに輝くはずないじゃないの。
ちゃんと、解説文を読みましょうね。