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2002年05月07日(火) ■ |
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今感じていること |
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中国に来て約二ヶ月。日本での生活に慣れてきた私は、ここにある本当に暇と言ったら勉強をするしかないという「学生生活」に対して、飽きや退屈を感じていることはたしかだ。
こうやって部屋にいて、日本の音楽をかければ、ここは日本にいることとほぼ変わらない気がする。ただこれからバイトにいかなくていいことと、長い通学時間をかけて登校しなくていい、それが今ここにいて唯一違いを感じることである。 もちろん、外に出れば、たくさんの中国が待っていて、日本に比べて遥かに(今でいうと)めんどくさいことが多い。 もちろん、親元を離れているせいもあるけれど、食事は黙ってはでてこないし、洋も和もこの中国で私達が美味しいと感じる物はない。もちろん、その何倍も美味しいと感じる中はあるけれど。
今戻りたいと考える日本での生活はどんなんだっただろう。
コンビニでおにぎりを買い、電車に1時間揺られる。車内では、寝たり本を読んだり・・・。着けば着いたで、人ごみに揺られ、今日も一つのビルに吸い込まれていく。時間を消費するための簡単なおしゃべりと別に喉は乾いてないけれど100円を入れて押せば出てくる自動販売機で買ったジュースを飲む。1000円分の時間を5時間消費した後、また人ごみを掻き分けて、人の酸素でいっぱいになった地下鉄に乗る。訳もなく、空いている席にすわり、少し揺られ駅に着く。地下道を上がり、外が見える瞬間、初めて空を見た気がする。学校に着き、やる気のない学生に囲まれて授業を受ける。活気なんていうものとは程遠く、反応すらない。時に違うことを考えたり、今日いくら働いたか、来週の予定はなんだと考えたりしながら、授業が終わるのを待つ。授業後は図書館へ。ゼミや論文で使う本を選びながら、時に自分はなんで勉強するのかを考える。日本の大学では少し本でも読んで、みんなの前で意見を言えば、「あーあの人は勉強している」と思われる。私は、そうやって思われたいから勉強するのだろうか、それとも・・・・。どれくらい勉強したかなんて関係ない大学後の世界(少なくとも今はそう見えている)語学や資格はもちろん役に立つのかもしれないけど、そんなこと大学の授業の中でやろうとしている人なんていない。そうやって、図書館の本と向き合って、外が暗くなったのを待って学校を出る。何もなければ、このまま、仕事に疲れて、電車の席に吸い込まれるように座る人達と郊外行きに乗って、また図書館で借りたばかりの本や音楽を聴きながら、また眠る。家に着けば、もう明かりは消えているか、最後の仕事と言わんばかりに洗い物を片付けるお母さんに一声かけて、あとは部屋でパソコンと向き合って、そして、寝て次の日がやってくる。
私の中で、留学という言葉がいつから本当になったかはわからない。ただこの言葉が日に日にまして大きくなり、何もかもを貴重な物にしてくれたのは確かだ。私がこうやって、日本でこんな風に過ごすのもあと何日だって。そう思うと、すべてが貴重で大切に見えた。感動的に思えた。でも、実際に本当に行くなんて実は実感も何もなくて、周りが騒ぎ始め、そして、出発の日にひどく心配した親の顔や妹の起きてきた姿に自分がこれからこの人達と1年間会えないことに気付いた。セキュリティー審査の中に入る時、見送りに来てくれた人も何もかも、すべてそこに戻りたいと思った。本当に行きたくないと思った。
今考えて、私はなぜここにいるんだろうと考えることがある。 日本にいる時、こうやってここに来るための資金をためなければ、きっと勉強する時間だってもっとあったし、家でご飯を食べることもできたと思う。 誰かに留学するって言ってしまったから私は来てしまったのだろうか・・・・。例えば中国語が話せたとして・・・・なんになるんだろう。日本にいた時の意気揚揚と中国のここを見たいと言っていた私は今はいない。中国というあまりにも大きな一つの塊に飲み込まれている。本で中国を読み、ここが問題だと感じ、ここがいけないと感じた私は、その本物の中国に対しては金縛りを掛けられたように動けなくなってしまった。
今、ここにいるから出来ることはなんだろう。 感じることはたくさんある。特に日本での自分がなんであったかということ。 そして、その次にやってくるここにいる意味への問い。
意味のない時間なんてないということ。 本よりも現実がなによりもすばらしいということ。
そのことをまだ感じる余裕もなく、こうやってまだ毎日を過ごしている。 あー日本とちがうと喜ぶ時期はもう過ぎた。だからこそ、その違いをまだ飲み込めずにいる。まだまだ日本よりな自分は、そろそろ中国への拒絶反応が始まっているのかもしれない。この時期をどう乗り越えるのか。日本という鎮静剤を打って、日本へ帰る日をただひたすら待ちわびるのか、中国というウイルスの激しい躍動に苦しみもがきながらもこの病気を克服し、抗体をつくるのか。
できるなら後者を望む。
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