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2002年11月14日(木) ■ |
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[02.11.14-No.12] a whole new world |
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[02.11.14-No.12] a whole new world ★★★留学初心者マガジン★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ★★★★★A★WHOLE★NEW★WORLD★★★★★★★★★★★ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★Vol.12★★★★★★★★
ほぼ月一発行なこのメルマガ。 中国にいる時間も残りもわずかとなり、次回に続き、 私なりの中国留学の総集編?をお届けしたいと思います。
楽しんで頂けるかはなぞですが、もともと趣味のメルマガ。 ここは感じたこと、伝えたことを書かせていただきます。
今回は旅行で感じてきたこと。
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★【第2回】 少数民族と世界遺産 ★
-------------------------------------------------------------------- 少数民族と世界遺産
この夏に大きめな旅を2回した。一つ目は桂林を始めに雲南省の都市を回る3週間の旅、 二つ目は、四川省・成都を経由し、九賽溝、黄龍、楽山などを回った10日間の旅である。
2回の旅とも共通するのが、雲南の中甸、四川の松藩というチベット族自治県と付近に 世界遺産を持つ地域のの訪問である。いわゆる、中国政府直轄地区の中、漢族の監視 の元に置かれているチベット族生活地区である。どちらも共通して言えることは、やはり街 の主要機関は漢民族が運営している。人口比では勝りながら、マイノリティーと称されるチ ベット族がしていることといえば、彼らが安い労働力で民芸品や農産品を作ることである。 それを漢族が売り、同じ漢族の観光客もしくは外国人が買う。
両者、地形的な差もあって、チベット〜!のような草原や牛の放牧などは、中甸の方が 見事であった。この情景は1933年イギリスの作家ジェームス・ヒルトンによって出版され た「失われた地平線」の中でシャングリラと名づけらたと言われている。(もっとも、この著 作も中甸にとってはただの観光の客引き文句に過ぎないようだが・・・)中甸は、1998年 から対外開放された町でそれまでは外国人がおと連れることができなかった。
一方、松藩の方は、近くにある世界自然遺産・九賽溝が1994年に認定され、そこから 本格的な観光地化への開発が行われた。そのため中甸よりも開発着手が早い分、同じチ ベット族自治県であっても、その民族的な暮らしが失われている。ここは、ラサなどの大き い都市ではない。チベット族の力も弱く、失われていくスピードも一段と速い。その開発が もたらした結果は、チベット族の寺院を見ることでよりあきらかになった。世界のどの観光 地でも同じように寺院というのは観光名所になる。私は、両方ともそのチベット族の寺院に おと連れる機会を得たが、松藩の方は観光客(漢民族)の訪問なしではもう寺が成り立た ないほどになっていた。寺自体はお布施をもぎ取るのに必死で信仰の有無などはまるで 関係ないというような感じである。子供達はお土産を売るのに必死である。トイレの集金所 では9歳の子が働いていた。僧侶も観光客相手に働いている。家族、集落あげての商売 である。すでに寺院は信仰の場ではなく、労働の場である。そうなると寺院の中の仏像や 壁画なども弱々しく見えてくる。回りの集落すらも崩壊しているように見える。
町が観光地化される。そこで民族の文化が摂取され始め、神聖な信仰の場すらも崩壊 していってしまった。中国には国が定めた保護地区、ユネスコが指定した世界遺産がたく さんある。しかし、それらの肩書きが付近の町を急激に開発に追いやってしまう。人々が 自給自足の生活、貧しく不便ではありながらも、少なくとも物乞いをするものがいなかった 生活から、なんとかという大きい組織が○○遺産と認定したことによって彼らの生活を突 然変える。人々は道路整備に借り出され、観光客相手に物を売るようになる。少数民族も 都市と同じ時間で動かされ、以前は住んでいなかった人達が突然町に大型バスを走らせ るようになる。後世に残したい素晴らしい建築や自然であっても、その看板を背負った日 から、隣の町では開発が始まり、そして都市から人を運んでくるバスや道路建設によっ て、後世に残すべき本当に大切な物々は守る以上に失われている。
中甸も例外ではない。1997年政府は今後10年間でこの地を国家級の観光地に整備 すると発表した。急速に整備された街。これよりも南にある麗江という街では納西族の伝 統的集落建築が世界遺産に指定され観光面で大きな利益をもたらした。その麗江からバ スで行くこと6時間の中甸。その間の道路は今でこそ谷に落っこちるような恐怖だが道路 脇ではすでに整備に着手し始めている。道路が完成した時、道端を歩いていた伝統衣装 をまとった少数民族の影は消えてしまうかもしれない。
旅行をしていて本当に美しいと感じるもの。それは景色でも建築物でもなかった。そこで 暮らす人々がその地域に合わせて生きている様子だった。ここでは、私達が持っている 文明の機器とやらは便利であっても、なんの得も生み出さないガラクタに思えた。彼らに には彼らなりの方法で寒さも熱さも乗り越えて行く。私達が勝手に彼らの物に価値を付け て、押し寄せる姿がなんとも悲しく思えた。
いいことか悪いことか、付いてしまったこのなんとか遺産。もし、そこに行く時、一番見て 欲しい物、それは、その大きな看板の裏側にあるものである。
具体的に美しかったものがなにかは書かず、感じた矛盾をここには書いてみた。実際の 裏側のものは自分で見ていただきたいと思う。
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今回もお付き合い、ありがとうございました。 初心者製作者、日々精進させていただきます。
なお、内容・記述に関しては素直に感じるままに書いたものです。 ご意見・ご感想は下のメールアドレスに頂ければ幸いです。
これからもローカルな土地武漢の情報を中心として中国の情報をお届けします。
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