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あまりにも場違いなかんがえ。つけたしました。 - 2004年10月24日(日) 死ぬことで楽になれると言うのは、 今生きているこの世界の拘束から解き放たれる、ということなのだろうか。 だがどの世も拘束という名の規則は存在するもので すべてを捨ててまで死という不安定な世界へ飛び込もうとする。 その姿勢を格好いいと思ったり、共感を覚えることで自らもその波へ飲み込まれる。ある意味、死というものはエヴァンゲリオンの補完計画に非常に近いものではないだろうか。補完計画というものは心の壁をとりのぞき、足りない(不安)を補う(安心)というものだった気がするので、きっと死に走る人たちは不安を補完するために死んでしまう……のかもしれない。 そして、共感を覚え飛び込む人は、きっとどこかにあった不安が誰かの死によって浮き上がり、それこそブギーポップである。それを補うために、泡がはじけることを恐れながら死へと向かう……。 だが、世の中には死というものを恐れ死に飛び込むケースもある。 私も一時期、異常な妄想にとりつかれ死ぬ恐怖に日々怯えていたということがあって、いっそ死んだほうが楽になるんじゃないだろうかということを思っていた。 死を死で解決するという、シンプルながらも本末転倒である。 また自殺においては、アクセサリーや肩書きをつける感覚で悲劇的を演じる自殺未遂を行うケースもあると思われる。この場合、不安とは違うがそれこそ足りない自分の魅力要素(あくまで主観的)を死にかけるというケースでおぎなうケース。 この場合、周りに不安を呼ぶことで自分を解決し見事悲劇ヒロインの座をうばう。 が、このケースの場合周りの不安は解消されないので、非常に自己中心的であるといえる。 が、ここで考える死は不安定な形態をもち、様々な観点で見られるものなので 死を論理にするには、あまりにも下手な話であると思われる。 というのを数十分ほどで考えながら書いてました。 途中ブギーやエヴァを引用するのは、ヲタのご愛嬌です。 明日とか読むとすごい支離滅裂してそう。 でもこういうことって悶々と一人悩むのもいいし、人と話すのもいいと思う。 考えというものは、そうやって構成されると偏りが少なくなるんじゃないかなあ。 ちなみに以前読んだ倫理の本で、死とは何かという項目があったんだけど 結局結論は出てなくて、あくまで今までの代表的な考えをつまみ食いした感じでがっかりした記憶が。 ------------------------ <私信="人類の恥へ">貴様O型かぁ! 血液型の相性最高だよ!爆笑問題並に仲良しだよ!最悪だ! 今度であったら、出逢い頭にいぬまど天誅!とかいって頭なでてやる。 摩擦でるほどなでて、あかんぼう少女並に恨み言をささやいてあげよう。 嫌がらせ?違うよ、愛だよ! ...
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