土曜は久々に高校、大学時代の友人2人とランチ。 長いこと会っていなくても、相手の言うことがよく理解できる、自分の言ったことをよくわかってもらえる(たとえ意見が違う場合も)と思うのは、多感な時期に過ごしたバックグラウンドが同じだから、意思疎通のベースができているのかな? 貴重なひとときでした。
そうして同級生と色々話してみると、鏡を見るように自分のことも見えてくるから不思議。 夜になってからしみじみ、ああ私はもっとゆったりした生活を切望してるんだなあと気づいた。最近疲れているからか、もっと季節の移り変わりを味わったり、手紙の返事をゆっくりと書いたり、本を読んであれこれ考えたり、子供の成長を同じ歩幅でゆっくり支えてあげられる生活をしたいな〜と実感。
だからって自分が仕事をやめても、家族が長時間労働であれば変わらないので、何か良い方法はないかな?とよく思う。人生の一時期だけでも、ワークシェアリングを選択できる環境にあればなあ。このご時勢、仕事があるだけでも有難いと思わないといけないんだろうけど。
仕事も家庭もバリバリこないしている人を見ると尊敬するけど、私はもともとぼーっとしたタイプなので、なかなか効率良く気持ちを切り替えて、というのが困難な今日この頃。
それにしても、他の赤ちゃんと接すると、間違いなくはっちは「手のかかる育てにくいタイプ」なんだなあと実感する。だから悲観するということもなく、そりゃー私の子供だからやっぱり手がかかるだろう、と納得すると言うか。
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