五感のうち嗅覚だけが脳と直接結びついているらしく、だからアロマセラピーなどはストレスを取り除くのに、とても効果が高いらしい。
だからか、嗅覚はダイレクトに記憶を呼び起こす。それを実感するのは、外国の柔軟剤の香りをかいだとき。たいがいダウニーなどアメリカ物が多いのだけど、私は必ず一人でヨーロッパを訪れたときのことを思い出す。
27歳で会社を辞めて、何かを見つけられそうだと思ってウイーンに滞在していた日々。そして、何も起こらなかった日々。 たぶんその時期の記憶が強いのは、人生の分かれ目で「今なら人生どの方向に舵を切ることもできる」と思っていた時期だからなんだろうな。
たった三ヶ月の間に、祖父が亡くなり、友人が亡くなり、二つの訃報をオペラ座の前で聞き、自分はヨーロッパで何をぶらぶらしているんだろうと自己嫌悪に陥りつつも、「もしかしたら私はここで暮らすことだってできるかもしれない」という期待も持っていた。 そして現実には、文学界最終選考に落ちた連絡も、ウイーンで受けた。オーストリア人とつきあって、またヨーロッパでの生活を夢想したりもした。 そして段々手持ちのカードがなくなっていくように、作家になる夢が消え、ヨーロッパで暮らす夢も幻のように思え、うつうつとした日々を送っていた。
柔軟剤の香りをかぐと、喪失感とともにその日々を思い出して、胸がぎゅっと締め付けられる。そして、どこか別の国で暮らしていたかもしれない自分、小説を書き続けていたかもしれない自分、今の自分でない自分がいる世界をあれこれ夢想してみる。
だけどやっぱり、自分の居場所はこの場所なのだなあとしみじみ安心するのです。 子供のオムツを換え、扇風機を掃除し、仕事に戻りたいとやきもきする自分が自分であり、アジアの都市といったほうが似合うこの神戸の下町が私の場所なのだなと。
小さいときからいつも疎外感があって、いつかどこかへ自分の居場所を探しに行くものだと思っていたけど、自分の場所は「自分が決める」ものであり、「作って、広げていく」ものなのだなとしみじみ思う。
そして、何か大きなことをして人から称えられる自分を夢想するのではなく、今トイレ掃除をしたり、話したい誰かに連絡することの方がずっとずっと大事で、そういうことの積み重ねによって私は外に出て人と接することができるのだと気づく。 自分が特別じゃなく、他の人の人生も同様で、皆そうやって生きている。
全くうまく表現できないけど、そう考えると、ずっと私の居場所はあって、逃げ続けていただけなのだろうか?それならやっと「見つける」ことができたんだろうな。
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