2010年10月04日(月) |
「一番近い他人」と「そう遠くもない他人」 |
レビューにも書いたけど、内田樹さんの「疲れすぎて眠れぬ夜のために」が面白かった。だんなが買った本を横取りして先に読んだ甲斐があった。全部共感するってわけではないが、主張が首尾一貫しているので、読んでいてすんなり腑に落ちる。
「友達親子」「愛だけで結びつく夫婦」「ほんとうの私」「個性が一番大切」そういった言葉に感じていた「居心地の悪さ」って、なるほどこういうことだったのかもしれないと思った。
特に家族に関する洞察が秀逸。以下引用と一部私の勝手な解釈ですが。
核家族だけでずーっとすごしていると、なんだか「煮詰まって」しまう。 そういう「常に煮詰まった」家庭で育つ子供にとっては、家庭は「安らぎの場所」どころか、早急に「脱出すべきもの(損なうもの)」になってしまい、下手すると家庭内暴力の温床さえなることは昨今の多発する事件で明らか。
そうならないためにも、いろんな人達と交流して、出入りして、常に「家の風通しをよくしておくこと」「煮詰まった空気に穴をあける」ことが大切。
そしてあまりに「自分の家族」と「家族以外の他人」の間に垣根を築きすぎ、逆に家族の中では「素の自分」をさらけ出していいんだと考えるのも危険だ。家族であるからといって「素の自分をさらけだし」「感情をぶつけあう」というあり方は、あまりに節度がなく、「はしたない」。温かい家庭と言うのはエゴむき出しでホンネをさらけ出す場所のことではない。
特にそのとおりだと思ったのは 「自立できる人間、孤独に耐えられる人間しか、温かい家庭、親しみあふれる家庭を構築することができない」 「家族のために自分は何をしてあげられるか、を優先的に配慮する人間だけが温かい家庭を構成できる」とのくだり。
家で裸でうろうろし(これは直接的には関係ないか)、家族に感情をぶつけまくる自分を大いに反省した・・・。夫も子供も「一番近いがあくまで他人」。きちんと相手を尊重して、欲望を自制したうえで、期待された役割をこなし、お互いの外での活動をバックアップしてあげ、休養できる場所を確保することが大切なのだなーと思った。
そして、隣人は他人だけど「そう遠くない他人」。ゆるやかに他の人達とつながっていくことが理想。 (これはずっと考えていたことで、隣人祭のようなものが頻繁にあればなーとも思う。まあ、この辺は365日隣人祭りとも言えるが。)
このテーマからは外れるけど「自分の立てた原理原則にあまり縛られないでいいですよ」というメッセージは、なんだか嬉しい。
私、すぐ「こう決めました!」と宣言する割には、すぐ前言撤回するので。でも「さっきのナシね!」って言うこと逡巡せずに「昨日よりはちょっとだけ賢くなること」を恐れないっていう考え方には共感した。
今の自分に大事なテーマが満載だったので、久々に日記にレビューしてみました。あーたまにしか書かないとどうもまとめるのが下手だ。
|