| 切った最後の日。 |
今思い返してみても、やっぱりあの頃は少し離人症気味だったんだろうなぁと思う。何をしてても、生きている実感がなかった。 「生きている実感」って、今久しぶりに口にしたなぁ。 あの頃はずーっと言ってたような気がする。 「ねぇ、生きてる実感ってある?あたしないんだけど、これって変かな?」
大笑いすることもなかった。涙も流さなかった。 「がんばれ」と言い続けられて、心が疲れてしまってた。 だけど頑張るしかなかった。 「どれだけ頑張ったら、「頑張った」って認めてもらえるんだろう?」と友達に言ったことがある。「はゆなは十分頑張ってるよ」と言ってもらって深い安心感に包まれたことを思い出した。今さらだけど、あの時はありがとう。
そういえば、“フォーク離れ”しようとしてたのも同じ時期だった。 楽しいと感じることをすると、ものすごい罪悪感に苛まれた。 恋人と会う時間さえも作ってはいけないような気がしてた。事実、一緒にいても気が休まるどころか、「あたし今こんなことしてる場合じゃないのかも」と思って落ち着くことすら出来なかった。 毎日時間に追いかけられていた。『花』の歌詞で「逃げても逃げても追ってくる明日」と書いたのもその頃だ。本当にそんな気分だった。
そこからプツリと大事なものが途切れたように、あたしは何も感じなくなった。楽しくも悲しくもなくて、自分が自分じゃない気分、生きてる実感が全くなかった。血が見たかった。生きてる証拠に、流れ出る血が見たかった。痛みを感じたかった。それが最後の日。
今、あたしは驚くほど毎日生きてる。毎日楽しくて、喜んだり悲しんだり悩んだりできる。これはすごく幸せなことだ。「楽しい」と実感できるから、毎日をとてつもなく大切に思う。もうすぐ期限が切れるから、余計にそう思うのかもしれないけど、何も感じないまま終わることがなくてよかった。 今、あたしは驚くほど幸せだ。明日も、幸せをかみ締めて一日を過ごそう。過ぎていく毎日を、一日一日、かみ締めながら、最後まで歩こう。
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2004年10月24日(日)
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