思い出に変わるまで
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2004年01月28日(水) |
たまには難しい事も・・・考えるのよ |
朝7時半に友達から電話がかかってきた。 来月結婚する子で、私はその子の式の最後に配るお菓子を作る約束をしてたので、打ち合わせ兼ねて今夜一緒にゴハン食べる予定だったの。 「mamiちゃん〜、ごめん。今朝っつうか夜中の1時に電話かかってきてさ、お婆ちゃんが亡くなったんだ」
聞いた瞬間今夜の約束が無くなったと思った私。
「今夜の約束さ、時間1時間早めて喪服買うのつきあってくれない?今日友引だからあさってに式するんだ」
・・・・・・。 いいのか?おいっ!
結局買い物付き合ってゴハン食べてさっき帰ってきたんだけど。 最近「病気」とか「死」って話題が周りに出てきてる。 知人の話なんだけど、双子のお婆ちゃん。 片割れが亡くなったら半月しないウチに後を追うように亡くなったとか。 友達と一緒に行った本屋で「直木賞」や「話題の本」の棚に誘われるがままに立ち止まって衝動買いした本が高校生のカップルの女の子が白血病に侵されて亡くなってしまう話の本だったり。
確かに健康で過ごしている毎日の中ではなかなか気付かない事が本を読む事や身近に起きた出来事で考え直したり実感したりする。 逆にそういった出来事が無いと有難さを感じれないのも事実。 今公開してる「解夏」でも目が見えなくなるという病気になってしまった人間の生き方とかやってるじゃない? 実は私の母も現在眼底出血から症状がひどくなって今はほぼ視力が無い状態。 将来的には全盲になる可能性も高い確率ではあるんだ。 本人は気丈にも毎日の生活にグチを漏らすワケでもなく、不便さこそ訴えるけど人生も嘆く事もしない。 強がりじゃない本音をよくよく聞くと、さすが母。 強いなぁ、って。
私ならどうだろう? 生きて行く事自体に失望してしまうんじゃないか?
極限に立たされたときにその人の本質が見えてくるのかな? それとも極限がその人の考え方や物の捕らえ方を変えてしまうの? この先ずっと健康でい続けるだろうって疑う事もしない私だからそのヘンの感情や思考は想像も出来ない。 しばらくは考えてしまうかも?
答えは出るのかな? ・・・出ないだろうね・・・? だって・・毎日の健康があたりまえってついつい思ってしまう私なんだもん。
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