思い出に変わるまで
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| 2006年10月25日(水) |
元気に産んであげたかった |
手術準備室は手術室のすぐ隣 一年三ヶ月前、タメを産んだ分娩室も隣の部屋だから初めてじゃなかった。 全身麻酔を利きやすくする為の筋肉注射を肩に打ち、看護婦さんが手術室の準備に取り掛かるまで20分程一人で部屋に居た。
新生児室同じフロアにあるのでシーンとした準備室にも遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。 なかなか泣き止まないとても元気で大きな泣き声で・・・。 「元気に産んであげたかったな・・・」 考えるより先に出た自分の言葉を耳にした途端、涙がボロボロこぼれて止まらなかった。 お腹の痛みもつわりの気配もまだ体に残っているのに、もう赤ちゃんはお腹にいないんだ・・・。 胸が詰まって喉の奥が苦しくなって声を殺して泣いた。
間もなく手術室に誘導され、全身麻酔を吸入 1から10まで数え、二回目に1・・2・・・3位数えたところで体が重く沈む感覚が一気に来て意識が無くなった。 ただ、昨日からタメに断乳をしていた為、パンパンに張ったおっぱいが痛かったのを覚えている。
気がついたのは先生に肩を叩かれ 「もう終わりましたよ、もう心配ないですよ」 と声をかけられた時だった。 途端に下腹部に痛みが走り 「お腹・・・痛い」と搾り出すように言葉を口にした途端吐き気が来た。 朝から一切飲食を禁止され、点滴だけだったので吐くものさえないのに。 麻酔がまだ効いてて体の自由が効かない状態でベッドに寝かされ 「お腹の痛みは子宮が元にもどろうとするから痛むんです。 しばらく眠っていただければ軽くなりますから」 看護婦さんの説明を受け、間もなく薬の作用からか数時間眠った。
ドアのノックで目が覚め、昼食が運ばれてきた。 吐き気はおさまり、下腹部の痛みも随分和らいだ。 パンケーキとサラダとリンゴジュースにバナナムース。 少しずつ口に入れながら麻酔が残るぼんやりした頭で赤ちゃんを想った。
お腹に宿ったと分かった時、嬉しくて嬉しくて。 「龍ちゃん」って名前つけて会える日を楽しみにしてたんだよ。 短い間だったけど家族四人の生活を想像したり、産婦人科選びに情報収集したり、あれこれ想像しては幸せだった。 もし、また私をママに選んでくれるなら今度は大事に大事にお腹の中で守ってあげるから間違えないで私を選んでね。 さとしクンもタメもじいちゃんばあちゃん、みんな待ってるよ。 ごめんね、こんなに早く外に出しちゃって、ごめんね。 ごめんなさい。
流産とは 流産とは、赤ちゃんが母体外で生育不可能な程早期(妊娠22週未満)に出てしまうことを言う。 妊娠と診断された方のうち約15%が流産となり、そのうち11週までの早期流産が13・3%。 早期流産の50〜70%は胎児の染色体異常によるものとされている。 染色体異常の99%は胎児期早期に死亡・流産となる。 その他にも胎児因子、母体因子、男性因子、夫婦間因子によるものがあるとされているが原因不明のことが多い。
避けられない流産だとは言え、7週間だけ私は龍ちゃんのママでした。 今朝の診察で私の前の順番の診察患者さんは見ただけでお腹が大きな妊婦さん。私と同じく腕には点滴が刺されていて、先生から手術の説明を受けていた。 偶然に見てしまった彼女の母子手帳には白紙の死産届けが挟んであった。 きっと彼女は赤ちゃんの胎動も感じていただろう。 大きくなったお腹をさすって赤ちゃんに会える日を待ち望んでいただろう。 流産の程度で言えば私はまだ早期の早期。 赤ちゃんの心臓の動きすら確認できなかった時期。 まだ多少は救われてるかもしれない。 でも、母であった気持ちはみんな平等にあっただろう。
今度私の中に命が宿ったら二人分の命だと思う。 元気に産んであげられなかった子供の命も含めて。
妊娠する事。 妊娠を継続し続ける事。 正常に分娩する事。 私には普通に出来る事だと思っていた。
人間が健康に生まれて来るには沢山の要因が見事にうまく重なり、奇跡と神秘の中で産まれてくるんだ。 命の重さ もっと大切にしなくちゃいけない。
いつまでも悲しんでいてもいけないとは分かっていながらも、せめて 今夜は失ってしまった私たちの赤ちゃんの事を想ってあげたい。 また会える日を願って・・・。
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