思い出に変わるまで
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先週の水曜日 大好きな祖母が95歳で亡くなった。
検査の為、行った病院先でいきなり心不全になり、あっと言う間の最期だったらしい。 年齢も年齢でなので、障害を負った母を連れての帰省が簡単に出来ない為、昨年の11月に長野へ行き、おばあちゃんに会ったのが最後。 母も久しぶりに会うおばあちゃんとゆっくりじっくり過ごせて満足した度の三ヶ月後に本当の最後になるとは・・・。
やさしくて、いつも手を合わせ感謝の心を忘れないおばあちゃんの姿は私が子供の頃から変わりなく、大好きな存在でした。
母は9人姉妹の下から三番目。 孫の代まで式に参列すると恐ろしい程の人数になるので喪主の長男から孫の代の出席は辞退してくれと言われていた。
だけど、せめて最後に顔が見たくて、姉と相談し、通夜、式には参列せずに顔見てすぐに母の実家を後にする事を決め、金曜の夜中に出発した。
式に参列したい気持ちは山々だったんだけど、先に長野入りした親戚が孫を連れてきた事によってモメたと言う事を事前に聞いてたので仕方が無かった。 みんなに愛されたバァちゃんだもん。 みんな会いたいんだよね。 だから、むこうの家に迷惑がかからないようにすぐ顔を見て帰るのが一番いいと思ってさ。
結果、一部の親戚の人にしか会わなかったけど、眠るような安らかな顔のおばあちゃんに会えて、仏間に居た母の弟からも何一つ文句言われる事も無く、最期の様子を聞け、遠いトコよく来てくれた。って涙ながらに礼まで言われてこちらまでウルウルでした。 だってね、おじさんの子供もすごいおばあちゃんっ子で本心言えばおじさんだって子供を連れて来たかったはずなんだよね。
どこもかしこも冠婚葬祭、特に葬祭には細かなモメ事が出てくるもの。 仕方ないと思いながらも故人を偲びながら心を込めて送りたいと思うのが本心ではないのでしょうか?
でもね、行って良かったと思います。
岐路は温泉入って、街を少しブラブラして、午後には高速に乗りました。 トンネルを越える度に雪が深くなり、行き4時間かかった道のりが帰りは7時間。 チェーン規制、通行止め、交通渋滞のオンパレード。 ずっと運転手を勤めてくれたさとしクンには本当頭が下がりました。
ありがとう。 本当にありがとうね。
そしておばあちゃん。 長生きしてくれてありがとう。 たくさんの愛情を与えてくれてありがとう。 沢山の思い出の中でいつも笑顔を絶やさないでいてくれたおばあちゃん。 本当に大好きでした。
安らかに天国のおじいちゃんと過ごしてね。 そして優しく見守っててください。
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