2002年07月17日(水) |
出来ると出来ないの差。 |
「やれば出来るんだから」
私が子供だった頃の母の口癖。
「あなたはやれば出来るんだから」
この言葉の中には、 (この子の成績が良くないのは、やれば出来るのにやらないからよ。私の子供の出来が悪いハズはないわ) という、母自身への弁解が含まれている。
やらないから出来ない。そんなの当たり前だ。学校や塾やPTAは、やらないから出来ない子供達をこそ、「出来ない子」に分類するのだ。
誰だってみんな、程度の差こそあれ、やればそこそこ出来るようになるものだ。「出来る子」と「出来ない子」の違いは努力の才能があるか無いか、誘惑に弱いか強いか。ただそれだけだ。(「ただそれだけ」がとてつもなく大きな違いなのだけれど) 私だけが「やれば出来る」んじゃない。母の子供だけが「やれば出来る」子なんじゃない。
「あなたはやれば出来る」 呪文のように繰り返し言われる誘惑に弱い子供は、ここで油断する。 曰く「私はやれば出来るんだから」 ここで弁解するのは母ではなく、自分自身にすり替わる。 でもね。やれば出来るから、とサボり続けた場合、いざやろうとした時には「やっても出来ない大人」になるだけなのだよね。
大人になるまで蓄積することをサボれば年齢相応の貯蓄がない訳で、年齢相応の貯蓄のある人に較べれば、いくらやってもなかなか出来ない。 脳の発育も止まっているし、貯蓄された時間の何倍もの労力をかけても追いつくのは至難だ。「やっても出来ない」状態一丁上がり。
「やれば出来る」 これ、褒め言葉でも励ます言葉でもないのです。
『否定せずに褒めましょう。やる気を出させるように励ましましょう』 育児書によくある煽り文句。 励まし言葉のつもりで母は「やれば出来る」と自分に言い訳し続け、私は誘惑に弱かったのでやはり自分に言い訳し続け、好きなことしかやらなかった。
結果。 血栓生成カスケードや抗菌作用の機序は解っても日本史年号はほとんど知らないような、虫食いだらけでボロボロの脳味噌が出来上がった。 そして最大最悪の大穴。 ・・・どうしてよりによってこの、ほとんど空白の区域を使わなくてはならない羽目になったんだろう・・・。英語。どこまで続く、この空白。がっくり。
「出来たね。やっぱりあれだけ努力したからだね。次も頑張ろうね」 こういうのが多分前向きな励まし。ではないかと思う。
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