私は縁起担ぎが好きだ。 縁起担ぎ、験担ぎ、ジンクス、年中行事は楽しい。 身近なところでは、例えば、厄年とか。お守りとか。北枕とか。千歳飴とか。達磨とか。酉の市の熊手とか。お参り前に手と口を清めることとか。5円玉のお賽銭とか。悪いところを燻すお寺さんの煙とか。お盆正月の不殺生とか。豆まきとか。破魔矢とか。10月10日は晴れるとか。
信じているかと言われると、多分笑って軽く流すだろうな、という程度に信じていない。
信じていないなら何故こういう行事や験担ぎやお作法が好きなのか?
その方が楽しいから。 こういう縁起やらなにやらをちょっとだけ気にしながら毎日を過ごすと、生活の細々した事が、何となく愉しい。
何かちょっと悪いことが起こったら、「やっぱり厄年なのに厄払いに行かなかったし」と思って流しておく。
達磨さんは、年初に「願いを叶えてくれなくちゃいつまで経っても貴方は片目ですからね」と脅しておく。
お守りは、「あちらの神社の方を買ったときの方がいいことあった」とか、起こったことをお守りの所為にしては比べて楽しむ。
御利益の煙は、「とにかく頭を良くして下さいな」とか「お腹のお肉が悪いところ〜」などと言いながら友人達と浴びる。
お参りのお作法については、神社仏閣は今まで沢山の人の崇敬を集めた場所なのだから、その人達の思いに敬意を払う為に、最低限はきちんとしておきたい。
豆を撒いたら後で豆を食べるのが楽しみだし、鏡開きをしたらそのお餅は小さく切って油で揚げてあられにすると美味しい。
お神籤を枝に結ぶのも楽しい。大吉でも凶でも、何でもかんでも鈴なりに枝に結んであるのを見ると笑える。
小さな験担ぎや行事を取り入れるだけで、「け。馬鹿馬鹿しい」と思いながら暮らすよりずっと楽しめる。 日付だって、冬至だから柚子湯だ!でも柚子湯は入るより飲む方が好きだ!とか春分だからもう春の筈だ!何故こんなに寒いんだ!とか思いながらカレンダーを見る方が、あ〜今日は○△日、とただ確認するより、ずっと素敵だなと、思うのだ。
こういう行事や験担ぎを日常に沢山取り入れていた頃の人達って、毎日が楽しかったのではないだろうか。 やる事が沢山あるから小人閑居して不善を成している暇も無かったかもしれないなあ。 単調な毎日だと、小人(つまり私だ)はろくな事を考えないものだから。
忙しくても、なるべくこういう些細な日常を忘れないように暮らせるといいな。
|