WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 七回忌と9年目

うわ、5日も飛んでる(笑)

日記の書き込みも気になっていたんだけど、それより原稿があったので
(ゆいなさんの本のゲスト)それを描いてました。通算1日で(おい)
いやー、楽しかったですvv
何か2Pなのにノビノビ描いてしまいました。

幕末ではありません。しかもほとんど日常で描いてなかったもんで、
実は心配していたんですがね。はははは、また描きたい勢いです。
ゆいなさん、また機会があれば、呼んでねvv
て、ことで明日、発送します。クロネコで(^^)

そして、明日は旦那の祖母の七回忌。
そして阪神淡路大震災から9年目突入。

この義祖母の事と震災は、切っても切れない因果関係があるので、
この時期は特に心が硬くなります。

この時期、前もって関西では震災関係のニュース、復興、その後、あの時の画像などなど特集には事欠きません。
もしかしたらもう風化してしまっている地方の方も多いでしょう。
私だって、被災者遺族ではないので、震災の体験はモロに受けましたけど
御遺族の方の8年間とはまた違った思いです。

義祖母と初めて会ったのは、もう寝たきりになってからの事。
旦那と出会った年は、震災のあった年でした。
夏に初めて会って、その後、義祖母に会う事になったんだけど、もう、私の事を紹介されても分からない状態でした。

義祖母は元気な人だったらしく、震災の前までは矍鑠(かくしゃく)としていたそうです。
でも、あの時から、ショックで倒れてしまい、以後ずっと寝たきりになってしまいました。
嫁になった私の最初の大業が義祖母の葬儀でした。
なにも分からない私は義母の言葉を必死で汲みながら、長男の嫁として仕事をしました。

あれからもう8年。
ニュースを見るのも心が痛くなる1/17。
蘇るあの揺れの恐さと、寒さと、不安。
被災した事を哀れんでくれ、とは言わないで、
前向きな姿を見て、同じような災害にも対処出来る様に、対策を練って行く姿勢を求めて。
火災が酷かった、神戸長田の人たちは、ニュースで必死に生きる姿を毎年見せてくれます。

現場に居なかったから分からないでしょう、とは言いません。
私も被害の大きい場所の事は、テレビの画面でしか知りません。
でも、大阪だって激震したし、京都だって崩れた家がありました。
淡路の活断層の動いた場所は、地球の生命を感じます。
あの体験をした後、旦那と会って、互いの家の破損状況やその時どうしたか、などを語り、当時の恐怖を分かち合いました。

阪神淡路大震災、旦那と初めての出会い、義祖母の他界。
それらが私達夫婦の年輪。

毎年1/17の未明にかけて、あちらこちらで追悼のろうそくが灯されています。
伊丹の昆陽(こや)池でも毎年ニュースで流れる程のろうそくが灯され、
震災が起こった午前5時まで火を消さないように人々が訪れます。
小学生の男の子が、亡くなった姉を思い、ろうそくを灯していました。
彼の目には、涙が溢れ、姉への追悼の言葉も途中で消えて、唇を噛み締めて火を見つめています。

長男が「何でお兄ちゃん泣いてんの?」と聞いたので震災の説明をしてみても
理解は出来ません。
説明しながら涙が出てきました。

亡くなった方の数だけ灯されるろうそくに、今年は、あの時の停電のために
呼吸器具が停止してしまい亡くなってしまった方が、犠牲者として認定され、一本、追加されました。
こんど引っ越すところはその池も遠くありません。
一度、行ってみようと思います。

この時期、絶対日記にこのことを書き込まずにはいられないと思ってたので
遠ざかっていた事も事実です。
どうしても鎮魂の思いしか出て来ません。
それが、辛い事でもあり、でも、忘れる事のできない事実でもあります。
今もキーボードを打ちながら、涙が落ちます。

力強く復興しているとはいえ、人の心には課題は多く、問題も多いです。
この時期はイヤでもそれをメディアから突き付けられ、恐怖を蘇らせられ、
胸がねじ切れるような切ない人の心を見せられます。
それが、つらい。
それが、つらい。
でも、見てしまう。

あの時の恐さや不安をメディアと共に振り返り、分かち合ってる気がします。

あー、・・・・・・・・・・・。
やっぱりこの日記になったか(苦笑)
多分、去年の日記もなんらかの事書いているんだろーなー、見返してないけど。
毎年毎年、振り返る事ができるなら、ずっと振り返っていたいです。
きっと戦争だって、災害だって、周りが風化しても当事者には変わらない「体験」なんだし。
緊急時の対処方法や、自発的に動いた「助け合いの人の輪」をもっともっと進化させて繋いだ後の風化は良いと思う、けど、
そのまま風化させてはいけないんだよね。経験を生かさなきゃ。

祖母や母が話してくれた「戦争の実体験」の様に、私も子供達に話してやれる「当事者としての体験」があるのが、
ちょっと嬉しいし、誇らしい、かな。
近所の、そこら辺を歩いてるおばちゃんだって、ヤンママだって、
みんなあの震災を乗り越えて来た人なんだよね。

よし、また1年。
無事に大きな災害もなく過ごせる年でありますように。














2003年01月17日(金)
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