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■ My Way(できればDef Techで歌ってください/笑)
長男、溶連菌熱、再発。 次男、アレルギーのお薬に「薬疹」が出て、薬を変更。 母、再び喉が痛いものの、熱無し。ただし、右手の親指の付け根から関節が原因不明の痛みにより、右手が殆ど使えず。 父、喉の痛みをこらえつつ、出勤につぐ出勤。
て事で、我が家はまだまだ医者通いが続く模様。
長男のチックを一度専門医に診てもらう為に、幼稚園終了間近のときに予約しておいた病院へ。 数カ月後しか予約がとれなかった状態だったので(紹介状があっても)、やっとの初診に少しドキドキしながら行く。 (6/7火曜でした)
朝が早いコトと、桜ノ宮という大阪城近くの病院だったので、旦那にも以前から休みをとってもらって、車で行く事に。
大阪市立総合医療センターという大きな総合病院の一角、小児青年精神科にて、研修生2名も含めての対談になった。 旦那は廊下で次男と待っていたので、私と長男が診察室に入る。
今までの経過と、紹介もとの近畿中央病院の小児神経内科からの「脳波」の検査結果など、漢方医から処方してもらっている薬の内容などをくわしく説明する。 おだやかな先生がゆっくりと聞きながら、長男にも軽い質問を振ってみせる。 「今、何年生?」 「何習ってるの?」 「面白い?」
長男は子供独特の照れで、少々ぶっきらぼうに話していくけど、 「何して遊んでるの?」の質問には、「ムシキング!」と即答していた(笑)
ちょうど、溶連菌がぶり返す前で、一旦は完治した状態のときだったので、体調も良く、チックも全然出ていなかった。
結果的には、治療薬と言うものがないので、特に暴れたり精神的に歯止めがきかなくなったり、「薬で押さえる」状態でなければ、 「今のままで良いですよ」 とのことだった。
友達がたくさんいる状態、担任の理解、学校へ楽しく行けてる状態。 「恵まれてますね」と言う。
思った通りの診察内容だった。
「次の予約、入れておきましょうか?」 と言って下さったけど、何より通院しにくい距離なので遠慮しておいた。 そのかわり、また時期的にチックが酷くなって、本人が辛い状態になった時には、いつでも予約をいれて良いことになった。 「冬休み頃は混みますから、予約が困難です。注意してくださいね」 研修医の2人の若者は、終始無言でじっと問診を聞いていたが、長男が退席する際に、「バイバ〜イ」と手を振ると、にっこり笑って手をふってくれた。
チックって、周りが気にしなければ、止める必要もないのだ。 ただ、周囲の理解がなかなか得られない為に、偏見や奇異の目で見られ、本人の心が深く傷つき、世間に出て行けなくなる例も多いと言う。
もっともっと、世間で花粉症が認知されているくらいに、自然にチックも受け入れられればどれだけの人が楽になるだろう、とチック患者を持つ人がネットで言っていた。 それだけチックは多いのだ。 オーストラリアでは、チック症の人がつけるワッペンがあるそうで、公共機関などでそのワッペンを見ると、「ああ、チックか」と容認されるそうである。 たとえ、電車で奇声をあげても、コンサートで身体がじっとできなくても、ワッペンを見て周囲は理解し、何事もなく過ごすらしいのだ。
はたして自分の子がこの国(日本)でワッペンを付けるというのは現実的にはどうかと思うが、それだけチックを容認している国というのは、単純にすごいなぁ、とも思うし、チック症の人にとっては肩身の狭い思いをしなくても良い分、自然体で自分らしくいられるわけだ。
自分と違う体質、病、考え方、生き方、将来を見据える目、人生の取り組み方。 それらを「それもアリだ」とあらためて思い、差別化せず、「人それぞれ」だと多角的に見れる様になったのも、長男のチックのお陰だと思っている。
だから、多少受ける他人の色々な違和感も、「でも人それぞれだ」と流せるようになった。 (いや、まだまだ流しきれるわけではないけどね/苦笑)
『子供の成長は1日単位ではなく、数年単位で見る事』
それが親が出来る「見守り方」の最大の方法だと思う。
『その子にどんな生き方をさせたいのか』
それが子供を育てる指針だと思う。
でもなぁ〜、ついつい目先の細かい事に引っ掛かるんだよな〜(苦笑) わかってるってィ!
2005年06月09日(木)
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