みょうの日記
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2006年01月30日(月) お寺さんに告ぐ

昨日、母方の伯父の17回忌の法要があった。
うちの母は珍しく兄弟姉妹が多いんだけど、この伯父がはじめて亡くした兄弟ということで、特に印象深い別れだったようだ。
が、日帰りで帰って来た母は荷物を置く間もなく「ひどかった」と涙を浮かべているではないか。
一体何事かと思えば、まぁ呆れるようなお寺さんの話だった。

田舎の人はそういう行事はびっくりするぐらいいろいろ細かい。簡略が当たり前なこちらとは大違いだ。
信心深いし、ちゃんと檀家になってるはずだ(細かいことは知らないけど)。
ところが、そこの坊さん、遅刻した挙句(自分の寺で何で遅刻すんだい)、お経なんか5分ほど口の中で「南無阿弥陀仏」って言うだけで、さっさと席を立って引っ込んじゃったんだとか。えーと、後なんでも塔婆に水をかけながら焼香するらしいんだけど、塔婆も書き忘れてて指摘したら「今書いて来ます」だって。
勿論、書いたばっかりだから塔婆の文字だって水に流れて消えちゃって、坊さんいなくなった後、親族でお経唱えたり残りの法要を済ませたらしい。
本堂は外より寒かった。そんな場所に年取った檀家の人たちだけ残してさっさと座を立ってしまう坊さんも坊さんだよ。
しかし、田舎の人たちはそんな坊さんにも文句一つつけられない。
まぁ私だったら「ふざけんな!」なんだけど、いつも先祖の御霊がお世話になっているお寺さんに何の文句がつけられようかってことらしいんだけどさ。

ところがそれ、なんと伯父が亡くなった時もそうだったんだって。
やっぱりお経なんか5分ぐらいでちゃんと拝んでくれなくて、葬式終わった帰りの車の中で「あれじゃあぜったい成仏できない」って伯母や伯父たちは泣いたらしい。

一番下のうえ一人離れたところに住んでる母は、その話を初めて聞いたと怒っていた。まぁ、部外者が口出して「お寺さんと檀家」の関係をぎこちなくするのもなんだから、とも言ってたけど。

そもそも、葬式法要は何の為に行うのかってことをよく考えてほしい。
残された人の安寧のためもあるでしょうに、辛い涙を流させるんじゃない。
坊さんのくせしてその程度のこともできないなんて本末転倒、片腹痛い。
小僧からやり直せ。


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