みょうの日記
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2006年10月06日(金) イライラしてくる

民主の質問はいつ聞いてもイライラしてくる。
「またやってる・・・」
本当にこの言葉しか出てこない。
攻撃できる点がそこしかないってことなんだろうか。

歴史認識問題って、あの人たちは日本の国に何を言わせたいんだろう。
「ごめんなさい、もうしません。これからは毎年必ず謝罪と賠償をし、総理が代わったら謝罪と賠償をし、戦後なぜか出てくる新たな大罪を、真摯な気持ちで受け止め償い、なんかちょっと記録がおかしいんじゃないなんて疑問は欠片も持ちません。すべてワタクシが悪いのです。存在自体が悪いのです。未来永劫日本が存在する罪を背負って謝罪と賠償を続けていきます」
とでも言わせたいんだろうか。

そもそも。
過ぎたことを今の倫理観に照らし合わせて非難するなら誰だってできる。誰にだってできることなのだ。言おうと思えば私にだってできる。
だってそれは過ぎたことだから。
結果がわかっていることだから。

そりゃ戦争なんていいことじゃない。
けれど正義がないという事とも違う。皮肉だけど互いの正義と正義がぶつかったときに戦争になるのだ。つまり「正義」なんてものはあくまで自分本位なものであって、万人が共通する認識のものではない。
そしてそうである限り戦争がなくなることも決してないのだ。

それぞれの時代にはそれぞれの背景があって、倫理観があって、信念がある。
それは一部の人間が先導していったということも確かにあるかもしれないが、では、あの時代に別の誰かが指導者だったら戦争にはならなかったのか。
たとえば、ここぞとばかりに批判している者の血縁者が指導者だったら戦争は起きなかったのか。
私は答えは否だと思う。
時代の流れというものは、そんな些細なことで変わっていくようには思えない。
それが大きな流れであればあるほど。
もちろん、IFなんてことは考えるだけ無駄だが。

私たちがしなければならないことは、過去の戦争を糾弾し続けることではない。
過去の戦争から戦争回避の糸口を見出すことだ。どうすればかつての惨劇をなるべく繰り返さないようにしていけるかと模索していくことだ。

「間違った戦争」という言葉をよく耳にする。
では正しい戦争というものが果たしてこの世界のどこにあるのだろうか。


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