椎名林檎の曲。 ニュース23でシリーズになってる特集などなど、 人は幸福に対する執着がある。 その逆をとれば、人は不幸である。
極論。人は幸福になることは無い。 人はなにかしら不幸になる。 不幸になることは簡単だからだ。 たとえば、次に上げるものは不幸のタネになるものばかりである。
・自分より幸福な人がいる ・自分より不幸な人がいる ・自分の顔がゴリラのようだ ・自分の親の顔がゴジラのようだ ・背が低すぎる ・背が高すぎる ・指が9本しかない ・指が50本もある ・自分は普通の人間だ ・自分は普通の人間でない ・親が尊敬できるような人間ではない ・親が立派過ぎる ・他人が笑ってくれない ・他人に笑われる ・悩みが無い ・悩みがある
などなど数え上げればきりが無い。 このように、特に何をしなくても、 また、事実がどうなっていても、 不幸になってしまうのだから、不幸になろうと思えば、 いくらでも不幸になることができる。不幸になり放題。不幸三昧である。
ただ、人間の力の及ばないような事実が 不幸のタネになる以外、不幸は克服できる。
たとえば、英語の会話ができるようになりたければ、 練習する以外になく、不幸だと悩む必要は無い。
しかしこのような場合でも、不幸を見出して悩むことは可能である。 英語がなかなか上達できない場合、 なぜ自分にはこんなに語学の才能が無いのか、 どうして親が語学の才能のある子に生んでくれなかったのか、 どうしてアメリカ人に生まれなかったのか、 といったことに向けられ、さらには、 どうして自分はこんなに足が短いのか、 といった関係ないことに及ぶのである。
そんなことを悩む暇があったら単語のひとつでも覚えればいい、 と思えるのだが、悩むほうが楽なためか、 どうしても悩みのほうへ向かってしまうのである。
この解決方法は二つ。
まず一つ目は、不幸の転換である。 たとえば、 人生の無常に悩む人が、 家庭の不和で悩んでいたが、 食糧難のために気にならなくなり、 食糧難も目に入ったごみのために忘れ、 といった具合に次々に別の悩みに変わって行き、 最終的には悩みとか不幸とかを感じる余裕が無い ギリギリの状態に到達する、といった具合である。 不幸や悩みは、かなりの余裕が必要なのであって、 生きるか死ぬかの極限的状況のときに、 人生の無常を嘆いたり、足の短さに悩む人はいない。
もうひとつは、実践は非常に困難なのだが、 笑いによる方法である。 芸人がよくすることなのだが、 たとえば、先ほど述べた、「足が短い」という点で、 それがキャラとなって魅きる。 漫才でも「悩みが無い」という悩みで、 ツッコミを受け、笑いを誘う。 このように自分にとっては深刻な悩みでも、 他人にとっては笑い話になることもある。 ただ気をつけて欲しいのはこの方法はサジ加減が必要である。 使い方を間違えると、 相手との距離が太平洋ほど広がり、 相手との溝がマリアナ海溝くらいに深くなっていくので、 注意したほうがいい。
こうやって、だらだらと文章を書いていき、読む気を失せさせ、 オチもなく終ってしまうことは不幸である。
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