闇鍋雑記帳
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1970年07月13日(月)

10/2

あの日から、もう少しで一月経とうとしています。

義母の配慮で、お骨納めは延期となり、あの子のお骨はまだ家にあります。

そして、お水とお線香だけは毎日欠かしていません。


そろそろ5ヶ月に入っていたのにな。

初期母親教室ももう終わっていて、そろそろマタニティの洋服も買い足ししなくちゃ・・・なんて考えている頃だったでしょう。

でも、もう赤ちゃんはいない。

わたくしのお腹の中で育つ事も無いんです。

プニ坊の時に使っていて、新品のまま余っていたおむつ外しトレーニングパッドや、お尻拭き用の脱脂綿を、1月に出産予定のお友達に譲りました。

彼女は、「次の子の為に、持っていた方が良いんじゃないの?」と、心配してくれていますが、もう、予定はありません。

彼女には「一度リセットしたい」とだけ伝えました。

それでも、貰ってくれたのはとても有難い事でした。


そして、以前のマタニティ衣料を全て処分しました。

出産時に使用する、マタニティパジャマも、冬用、夏用のマタニティ衣料も。

本当は何もかも捨てたいのです。

哺乳瓶も、布おむつも。

でも、これらは全部夫の実家に預かって貰っているのです。

まだ、実家の方に行っていないので、その処分は出来ません。

きっと、プニ坊の子供に使うよう言われると思いますが・・・。


不眠もずっと続いていましたが、それが原因で、体力が落ちて風邪を引きました。

そのお陰で、ある程度眠れるようになったのは、皮肉なものです。

1日平均2〜3時間の睡眠で、産後と同じような条件の身体で、外せない用事で出歩かなくてはいけなかったので、そりゃあ体力も落ちるわという事です。

女はいい気になって寝ていられないものなのですよ。


でも、毎日あの子の遺骨を抱いて泣く事は、少なくなってきました。

看護師の言葉が思い出されて、泣く事も少なくなってきました。

時間が薬とは、良く言ったものです。

夫実家の方の、真宗高田派の冊子に依りますと、「自分(私)だけが、思いに囚われているのです。」という下りがあります。

確かにな。と、納得出来ます。

子の死に悲しみ、その思いに囚われているのは、わたくしだけ。

亡くなった人に思いを馳せて涙するのも、わたくしだけ。

自分の心を制御出来なくて、混乱しているのも、わたくしだけ。

人の死は、世界中で日々何万とあるのに。

我の死も、誰の死も、関係ない人にとっては、全く何ともないものなのに。

割り切れない思いで、悲しんでいても、明日はない。

明日が来ても、未来は見えない。

生き仏(つまり家族)を大事にしていく事が、供養にもなるのでしょう。

わたくしは、明日に目を向けなければならないのです。


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