月の輪通信 日々の想い
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2003年09月30日(火) 単純作業

秋晴れのさわやかな一日。

いつも日陰を求めて坂道を下っていくアプコが、今日は「さむい!」と、日なたをめがけて急ぎ
足。

明日からは10月。

近いうちに子ども達と山のふとっちょどんぐりを探しにいかなくては・・・。



久しぶりに工房での仕事。

10月に立て続けに3つの展示会。

その案内状のダイレクトメールの荷物が、印刷を終えて届けられた。

1000通を越える案内状にPCのプリンターで宛名を印刷し、案内状をいれて封をし、切手を貼
って発送する。

毎度毎度の事だけれど、けっこうな仕事量。宛名印刷がおわると、あとの作業はおばあちゃん
やひいばあちゃんの内職仕事。発送の期日もあるので、一家総出のお仕事になる。



今朝届いたのは渋谷東急のダイレクトメール。

さっそく封筒に宛名印刷を・・・と思ったら、ご丁寧に封筒一枚づつに案内状がすでに挿入済み
だった。

こちらの手間を省いてやろうという先方さんの心遣いだろうが、申し訳ない、封筒を空にしてお
かないとPCのプリンターにかからない。

「げ、これ、全部出すのか・・・」

1500通のダイレクトメールの内容物を出して封筒と別々にするだけで、半日かかった。



「陶芸の窯元にお嫁に行く」と決めたとき、私は陶芸の世界の事は何も知らなかった。

土のこと、釉薬のことはもちろん、窯元の生活がどんなものか、どんな風に作品を売るのかも
知らず、TVのドラマや小説の世界で見る「陶芸家」のイメージすら曖昧な物だった。

だから、窯元の仕事の中に、包装紙や梱包材を手配したり、採寸して桐箱を注文したり、作品
の金箔張りをしたり、ダイレクトメールの手配をしたりという、いわば周辺のお仕事が山ほどあ
るということも知らなかった。

今でも、「陶芸家の妻です。」というと、知らない人は必ず「あなたも作陶なさるの?」と言われる
けれど、窯元のお仕事にも「土を触らない」お仕事がたくさんあるのだという事が意外と知られ
ていないのかもしれない。



真新しい封筒から内容物を抜き出す。

それだけの単純作業を半日。

寝ていても出来そうな作業が続くと、脳細胞が勝手に休憩状態に入ってしまい、単純作業用の
機械になったみたい。

実は、私はこういう物を考えなくていい単純作業が結構好き。

どうでもいいことを、考えるでもなく考えて、手だけが勝手に作業を続ける。

そういえば、今私が解体しているダイレクトメール、一通づつ封入する作業をして下さったのは
どんな人なのだろう。

 

いつも我が家の郵便受けにも、よそからの案内状やダイレクトメール。

もちろん、今時のことだから、宛名書きや内容物の封入の多くは機械で行われているのだろう
けれど、それでもどこかの誰かの単純作業や内職仕事を経て、発送されているものもまだま
だ、あるはずなのだ。

配達されたダイレクトメールの封を切るとき、その内容には心が動くけれど、それを封入した人
の手のことには、誰も気付かない。

そんな誰の目にも留まらない、地味な単純作業の成果がわたしたちの身の回りには山ほどあ
る。



「やりがいのある仕事」とか「自分らしさが表現できる仕事」とか、誰かにその成果がきちんと評
価される仕事が重んじられている。

確かに、封筒の内容物を抜き出すと言う作業に費やされた半日は、誰にも評価されない。毎
日毎日、何年も続けてやれる仕事とは言えないかもしれない。

けれども、作業を終えた封筒を束にして、とんとんとそろえて箱詰めを終えたとき、ふーっと沸
いてくるほのかな充実感。

誰かに評価される仕事ではないけれど、こういう地味な、一見無意味な作業の中にも「労働」と
いう輝きは必ずあるのだ。



毎日毎日、子ども達の洗濯物を取り込む。

やかんいっぱいにお茶をわかして、冷やしておく。

すぐに綿埃のたまる階段の拭き掃除。

できてて当たり前。忘れてるとすぐにどこかからブーイングが出る主婦の仕事は、どこかダイレ
クトメールの単純作業にも似ている。

秋晴れの太陽を吸ったお布団は、ふんわりと暖かい。

作業の終わった封筒をとんとんと揃える時の充実感にも、そんな暖かさがある。




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