月の輪通信 日々の想い
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朝、子ども達を起こしてから、新聞を取りに出る。
折り込み広告をチェックしてから、ざっと本紙を開く。
パリッとプレスのきいたシーツのように、はらりと開く朝刊のインクの匂い。
時計を見ながら、三面記事を読み、天気予報を確認し、読者の投書欄を斜め読みする。
子供らがパタパタ起き出す気配で新聞を中断し、台所に立つ。
「みんな、起きたぁ?水筒が要るのはだれとだれ?アプコ、お弁当はおにぎり?名札着けた? 体操服、乾いてたでしょ?」
卵を焼きながら、大きな声で、子ども達に指示を出す。
父さんが朝の仕事場から帰って、みんな揃って朝ご飯。
食べ終わった子どもたちが、あわただしく「行って来ます。」
子ども達が出払ったあと、再び読みかけの新聞をゆっくりと読み始める。
順調に行くと、我が家の朝はこんな感じ。
誰かがお寝坊したり、なにか不測の事態が起きた時には、この日課がぼろぼろと崩れる。
まず犠牲になるのは、私がパラパラと新聞をめくる時間だ。
忙しくアプコの靴下を取りに行き、ゲンの集金袋の用意をする。アユコの髪を結ったりオニイの 名札を探したりしているうちに、新聞はいつの間にか、オニイの手に渡っている。
オニイは、私に似て、活字の虫だ。
朝、私があわただしくしていると、決まってオニイが先に新聞を読む。(・・・と言えば聞こえがい いが、要はTV欄のチェックと4コマ漫画が見たいだけなのだが。)
おまけにオニイが先に読むと、新しい新聞は見るも無惨にくしゃくしゃになり、昨日の朝刊と区 別が付かなくなる。
元通り、きれいに畳み直すという発想がオニイにははなっから備わっていないのだ。
「こりゃ、オニイ!
また、名札がついてないよ。ちゃんと支度が出来てないのに先に新聞、読むなぁ!朝、一番に 新聞読むなんて、10年早いわ!」
忙しさに追われて、ついつい大きな声でオニイを呼ぶ。
「ごめんごめん。」
オニイはまだまだ素直に飛んできて、朝ご飯の配膳などをちょこちょこと手伝ってくれる。
私がオニイと同じくらいの年の頃、実家では一番に新聞を読んでもいいのは大黒柱の父であっ た。
早起きの父は、出勤前にしっかり時間を掛けて新聞を読んだ。
一方私も、登校前にざっと新聞に目を通したい方だった。
「扶養家族であるうちは、新聞を先に読む権利ナシ。」
一喝のもと、渋々、父が出勤して、読み終えた新聞が下げ渡されるのを待つ。
どうしても先に見たいときには、「先に見せていただいていいでしょうか。」と普段使い慣れない 敬語でお伺いを立てる。
それでも、誰も開いていない綴じ目がパリパリっと音のする新聞を読むことはごくまれであっ た。
「綴じ目を開く音のする新しい新聞を朝一番に開いて、読むようになりたい。」
それは父という保護者の大きな翼の下から飛び出して、自分の生活を自分自身で選択する生 き方がしたいという、青春期のささやかな強がりであった。
数年の教師生活の後、あっさりお見合い結婚して専業主婦となった私には、パリッと背筋を伸 ばした新しい朝刊が毎朝配達されることになった。
幸い、私が伴侶に選んだ人は、それほど朝一番の新聞を読むことに熱心ではなかったし、幼 い小さい子ども達と一日をうちで過ごす主婦にとっては、新聞をこまめに読むことは、ささやか な娯楽でもあり、社会にむけて開いた小さな窓でもあった。
子ども達が週末の夕刊に載るパズルやテレビ欄を見るようになり、学校の宿題で社会面やそ の日のトップニュースを切り抜きすることが増え、新聞はもはや、大人達の独占物ではなくなっ てきた。
夕餉のあと、「さて・・・」と夕刊を開くとすでにクロスワードパズルの空欄が子ども達の鉛筆の文 字で埋められていて、「あれれ」と思うこともある。
そして、パソコン仕事だの、工房の手伝いだの、子供会やPTAだの忙しく駆け回ることも増え、 私自身、ゆっくりと新聞を読む時間が取れないことも多くなった。
それでもやはり、朝一番の新聞にはこだわりがある。
朝の慌ただしさの中で、あたふたと走り回っている横で、オニイがのんびりと真新しい新聞を読 んでいると、「こりゃあ!」と呼びつけて、説教をしたくなる。
「扶養家族であるうちは、朝一番の新聞を読む権利ナシ。」
若き日の私があんなに反発した実家の父の家訓は、確実に私の中に染み込んでいる。
「大人になったら、自分の稼ぎで新聞を買って、朝一番に読んでやる!!」
そんなささやかな反骨精神が、いつかオニイの胸にもふつふつと沸いてくる日が来るのだろう か。
理不尽な家訓を娘に科した父の期待が、少し判るようになった気がする40才の私である。
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