月の輪通信 日々の想い
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2003年11月21日(金) |
大きくなったら、なんになる |
昨日のこと。
珍しくゲンと二人で、車を走らせていたら、「大きくなったら、何になる?」という話になった。
「僕は、ものを作る人になりたい。」
幼い頃から、父さんのような陶芸家になりたいとたびたび宣言しているゲンの事だから、驚き はしなかったけれど、
「ものを作るといってもいろんな職業があるよ。おいしいラーメンを作る人もいるし、かっこいい 飛行機を設計する人もいる。大工さんもいいし、洋服を作る人もいるね。」
とはぐらかしてみた。
「う〜ん、とにかくね、サラリーマンって言うのがいやなんだ。」
「サラリーマンってどんな仕事かしってるの?」
「・・・・」
「じゃ、君の持ってるサラリーマンのイメージってどんなの?」
「毎日電車で会社へ行ってて、かえりにお酒飲んで、課長とか部長とかの愚痴を言って・・・・」
はは〜ん、そっか。
ゲンはサラリーマンの生活を身近に見たこと、ないものね。テレビで見るサラリーマンのおじさ ん達は確かにこのごろくたびれている。
窯元という家に嫁いで、最初にオニイを産んだとき、じいちゃんばあちゃんひいばあちゃんの喜 ぶ様にはおどろいた。
そのとき、家には男の内孫はいなかったし、親類も多い方ではなかったから、家業を次代に継 ぐ希望の星の誕生だったのだ。
「お手柄やった、よくぞ産んでくれた。」と産褥の私の手をとって涙ぐむひいばあちゃんの姿を見 て、
「あかん、早く次の子を産まないと、この子は皆の期待でつぶれてしまう。」
と感じたのを思い出す。
おかげさまにて、順調に次々に子どもを授かり、気がつけば4人兄弟。
「4人もいれば誰か一人くらい、窯の仕事を継いでくれるだろう。」
と、のんびりかまえて、周りにもそう公言する事が出来るようになった。
確かに、代々続く家業を営んでいると、じじばばや親よりも周囲の人の方が「跡継ぎ問題」を口 にしたがる。
「この子が○代目さんをつぐのかな。」
「さすがに陶芸家のこどもだね、××が上手だね。」
出来ることなら、そういうことはあまり意識させないで、育ててやりたいとは思っているが、外野 はそうは思ってくれない。
だからせめて、親だけでもと、小さい頃からいろんな人の働く現場をみせて、「陶芸家」以外の 選択肢をみせて置いてやりたいと思ってきた。
オニイの方は、さすがに長男であることを意識して「陶芸家」も選択肢の一つに入れているらし いが、他にもやりたいことがありそうだ。
対して、ゲンの方は幼いときからよく、「とうさんと同じ仕事がしたい。」と漏らしたりしている。
さあ、どっちが陶芸の仕事には向いているのだろう。
もちろん、女流の窯元という選択も可能だし、父さんとおじちゃん(義兄)のように二人以上が 窯の仕事を一緒にやるという可能性もある。
もしかして4人とも陶芸の仕事はいやだと言ったら、それも仕方のないこと。
とりあえず出来ることなら、何かのプレッシャーや押しつけでなく、この仕事を本当に好きな子 どもが、気持ちよく継いでいってくれますように。
「僕な、小さいときは、陶芸家かゴミの収集のおじさんになりたかってん。」
話の最後にゲンが付け加えた。
「そだね、ゴミのおじさん、てきぱきと仕事をこなしてかっこいいもんね。」
と答えて、はっとした。
こんな会話、小さい時にもしたことあるよな。
幼い子ども達に身近な職業教育とでも言うようにゴミの収集の作業を離れたところから立ち止 まってじーっと見ていたことがある。
「ゴミのおじさん、かっこいいよね。」
自分の仕事を淡々とこなしていく人の姿はかっこいい、そんなつもりで言ったのだけれど、ゲン の中にはしっかり残っていたのだな。
「子どもには自由に職業を選ばせてやりたい。」
常々そう思って子育てをしてきたつもりだけれど、「こんな職業についてほしい」と思う気持ち は、知らぬ間に子ども達の職業観を作り上げているのだなと思う。
「物を作る人になりたい」というのも、
「サラリーマンはやだな。」というのも、
「陶芸のしごとがしたい」というのも、
ゲンの敏感なアンテナが、親の「こんな仕事をして欲しい」という電波を受け取って作り上げた ものなのだろう。
「世の中にはいろんな仕事があるよ。自分の本当に好きな仕事をみつけなよ。」
と言いながら、
「誰も継いでくれなかったら困るわね。」
と思う親心。
きっと子ども達には読まれているに違いない。
母の苦心の職業教育も、所詮底が浅い。
「仕事を継いでいく」という家の子育ての難しさを改めて感じた、ゲンとの会話だった。
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