あやのLA Diary
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2004年05月14日(金) 私がJazzを始めたいきさつ。。

どうにかして追い着かないとな。。今日現在19日の水曜日です。
でも今回はどうしても私のJAZZについて書きたかったので、お許しを。
(どうしてJazzを始めたか。。からいきましょう。また長くなるかね。)

BostonにあるBerklee音楽院に入学して、沢山の先輩達がまだ無知であった私に知識をくれました。まあ私のEducationはそこから始まりましたが、もともとと言えば。。。

仙台はあまりJazzが浸透している地域ではなかった(今はどうだか分かりませんが。)ので、私の初めてのJazzとの出会いは、両親の趣味からでした。
父はお友達とよくカセットを交換していたみたいで何故か沢山カセットがありました。彼のカセットに録音してあるJazzを昼間にこっそり聞いて大人の気分に浸ったものです。
母は毎日、新聞のラジオステーションガイドをチェックしてタイマーをセットし、好きなアーティストの特集等があるとダビングしていました。マンハッタントランスファー、キースジャレット、アルディメオラ(母はクラッシックギターを弾きます。)彼女の趣味はとってもハイセンスです。大学に入ってからは色々コンサートに連れて行ってくれました。

どちらが入手したのかは分かりませんが、Oscar PetersonのBlue Trainが入ったカセットをリビングで発見しました。これがめっちゃくちゃ格好良い!!こんな風にグルーブ出来たらどんなに気持ちが良いだろう。。と少しずつピアノでコピーしてみました。その頃は知識は全くないし、ただただ耳を便りに。。私は絶対音感があるのでコピーなんて簡単!と軽い気持ちで始めたもののすぐ玉砕。。やはり聞き慣れないものは難しかった。今考えてみればブルーススケール、ビバップフレーズを知らなかったので難しかったのですね。。そこで譜面を取り寄せてみました。
分からなかったのも弾けなかったのも当たり前。彼はおそらく相当手が大きい!こおりゃあ大変だ。。。でも一応できるだけを頑張って練習してみました。今考えてみるともうどっぷりJazzに漬かってしまっていたのですね。

その後、大学は英文科に入学したのですが、どうも水が肌に合わず、母が”どうせピアノ出来るんだし(クラッシックを3歳から習っていたので。)Jazzでもやってみたら?"と勧めてくれ、地元でプロの餅先生という方に就いて習う事になり、先生は師事後すぐにBerkleeに行く事を勧めてくれました。
。。今でも母は”私がJazz勧めたのよね〜〜。”と得意げです。。。ママ有難う。感謝してます。

そうして入学したBerklee。日本人の先輩達の多くは既に日本で活躍していた方々で、Berkleeは1つの質問をすれば100の答えが帰って来るという絶好の学び舎でした。最初の頃はバンドで演奏するという状況がよく分からずなかなかオーディションで良い結果が得られなかったのですが、すぐに毎日のようにリハーサルを始めだんだん楽しくなってきました。練習をしたければ夜の12時までプラクティスルームが開いています。
Berkleeのホールで行われるコンサート。毎週毎週世界中からミュージシャンが集まります。生徒のコンサートを見るだけでも今考えればレベルの高いもので、幸せな環境でした。
コンサートを見終わった後には、毎晩のようにどこかに集まりJazz談義に花を咲かせ沢山のCDを聞きました。あーでもないこーでもない。こうしてだんだんJazzが私に染み込んで来ました。

このような環境の中で私はHerbie Hancockが一番好きなんだ。。。”と気が付いたのです。


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