私の生き方
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2002年09月24日(火) 告知の日

連休の間、母とふたりかなり悩んだ。
相談する相手もいなく、私はメル友相手にいろいろ聞く始末。
今までに同じような立場を味わった方がいたかしら?と。
ネットでも”胃癌”を調べてみた。
やはり50〜60代の男性に多く、食文化や嗜好品の違いで欧米人より日本人が多いらしい。

担当医師は若い女の先生で、化学療法を使用するなら、かなりきつい薬なので、本人に告知という形で知らせてから、使いたい、という。
しかも新薬になるので取り寄せになるし、一回で終わらないし、高額な薬だと
もいう。今までも患者の中でこの副作用が辛くて一回で辞めてしまった患者もいる、が・・・その後、半月で亡くなったと。


約束の時間午後3時。
1Fの内科の診察室で私ら家族と先生。

『・・・どうします?』と先生。

母の中でもギリギリまで葛藤してたらしい。
告知するべきか否か・・・。
ギリギリになって、母が、
「告知はやっぱり酷なわ〜。あの人落ち込む性格やし・・・私からはよー言わん。。」

「えっ?!ほしたら黙っとくの?この週末で本人かなり気づいてきてるで?」
と私。

それでも母は言いたくないのならそれはそれでいい。
言ってしまったら取り返しの付かないことになるから。

そしたら、先生が
『それじゃぁ・・・病名をはっきり言わず濁した感じで言って、投薬してみますか?』

「そんな手があったんや〜。。はよ言うてくれたらええのに、それにしよそれに・・・」



<<どこまでどんな風に話すか念密な打ち合わせ>>



『そしたらいつ話します?』

「家族いるときに話してもらいたいし、本人も疑問だらけやから、今すぐにでも。。」

『・・わかりました。』

「お願いします・・・」(頭を下げる)


その後すぐ、3Fの個室にいる父にカルテを持って先生が話をすることに。


か〜なりの濁した感じの説明が始まる。
手術ではどうにもならないとは言わず、
『癌に非常に近い病気で、胃と肝臓に障害がきてます。
薬は副作用が出たりしてきついけど、耐えれますか?』
「頑張ってみます!」と父。
その後も、薬で散らしましょう、だの。点滴を24時間して様子を見ましょう、だの。



・・・延々20分。



私たちは先生の顔より、説明を真剣に聞いてる父の顔色の様子ばかり伺ってた。
癌です!とは告知してないもんだから、あまり驚きの様子はない。

説明が終わったあと、
「どうだった?分かった?すっきりした?」と、ついうっかり聞いてしまった。
『うん、分かった。ようは薬で直すんやろ?辛いかもやけど、それで直るんやったらしてみようかと・・・』とかなり前向き。
ココ数日の父の疑問は・・・
私たちの心配は・・・いずこへ?


いつまでも泣いてたって何も起こらない。
ほんと前向きにこれからはいかなきゃ!と心強く思った日でした。


みなさん応援よろしくです。


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