即興詩置き場。

2002年01月31日(木) 会社にXboxのコントローラーが届いた。



いや、コントローラーだけなんだけどなこれが(爆)。
なんかガチャガチャついてて面白かったよ。
つーか、梱包が、でかいビニール袋にすごく雑に入れられていて、
「このへんがアメリカだなぁ」と妙なところで感心(笑)。

詩学の2月号は、ネット通販の注文数がいつもより多いそうです。
もっと頼もう(笑)。
すげぇ売れたら、売れただけネット詩が注目されるよん。
↓のサイトから注文可能。
http://www.curio-city.com/shigaku/


俺の詩はどうなんだろうか?
ファンがいるのは知ってるけど、
ファンがいるからってそれが良い詩だとは限らないのね。
極論を言えば、ファンのために書いてるわけじゃないし。

わかってもらえなくてもいい部分が、
どの詩にもやっぱりあって、
だからこそそこをわかってくれると嬉しいんだけど、
んー、どうなんだろう。
自分の詩は自分が考えているよりももっと難解なのかもしれないと、
最近思うようになった。
たぶんこれからもっと難解になっていくと思う。

その「難解さ」ってのはおそらく、
技巧や描写から発生する難解さではなくて、
主題の深さからやってくる。やってきます。
何を伝えようとしているのか。その部分。
「ウイルスの夜」だって、
あれなんか恋愛詩を装ってるけど、じつは恋愛詩じゃないのな(笑)。
ほとんどの人が気づいてないんだけど。
わかるように書けよって声もあるだろうけど、
もちろんわからないのが悪いってんじゃなくて、
そういう方向性ではなく、
そういうところを、故意に隠そうとするような、方向性。に、向かう。

描写そのものはたぶん、もっとシンプルになる。
限りなくシンプルにしていく。読みやすくわかりやすく。でも難解。
そういうスタイルになりつつある。

詩情で訴えるのではなく、詩情でカモフラージュする。
詩情だけを感じていたら到達できない場所を、詩の中に作る。
それが俺の新しいテーゼになる。テーゼにする。そこを目指す。


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