2002年05月05日(日) |
まだ詩手帳5月号買ってません。 |
「詩と思想」と「ユリイカ」は立ち読みで済ませた。ごめんなさい。 面白ければ買うんだけど、 今月は面白く感じなかった。俺としては。 つーか、風邪で煙草が吸えません。
ん。関係ないか。
あんまり元気ないんで、詩の話を少し。
現代詩、じゃねーな、戦後の詩ってのは、残るんだろうか、と、 要は、歴史として残っていくものがあるんだろうか、と。ふと。
立ち読みした「詩と思想」だったっけな? それとも別の雑誌だったかな? 戦後の詩には秀逸なアンソロジーが編まれていない、 という指摘があって、 んー、少し関係ないかもしれないけど、「残す」ってことを、 頭の片隅に入れておく必要があるかな、と。
んー。話のつながりわかんないよね(爆)。 上手く説明できません。すまん。
というか、現在の時点で何らかのアンソロジーが編まれるとすれば、 そこにはネットで書かれた詩は組み込まれないんだろうな、と。 逆に、ネットで書かれた詩は「ネット詩」とカテゴライズしたうえで、 ネット詩のアンソロジーとして編まれるんだろうな、と。
それはすなわち、逆に、 ネットで活動してる人たちがアンソロジーを編もうとした場合、 それは「詩」のアンソロジーではなく、 「ネット詩」のアンソロジーになるんだろうな、と。
たとえばリーディングシーンで活動してる人たちとの間には、 こんな壁はまったくなかった。まったく感じなかった。 どちらからもひょいひょいっと、人の出入りが自然に行われてる。 この差はどこから生まれてきてるんだろう? 形式の差なのか? 場所の差ではなく形式の差だからなのか?
立ってる場所が、じつはとてもよく似ているような気がする。 あるいは、それはそのままでもかまわないのかもしれない。 お互いがお互いをよく知らないままで、 それでもかまわなくて、 勝手につながっていくのかもしれないし、 ずっとこのままなのかもしれないし。
でも。だけどね。 俺はイヤだ。 押し付けるつもりはまったくないけど、 俺はイヤ。こんなのはイヤ。
イヤだから自分で動く。
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