も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪
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2005年09月04日(日) 僕とウンコと君としっこ。

先生今日は愛について
考えてみたいと
思うんですよ
えっとおうんとお
恋がライクでえ愛がラブみたいなあ
みたいなことではなくて
キリストの言う博愛とかも
そおゆうのんではなくてね
まあ前回も書いたんだけどね
身体的コンプレックスを
個性として受け入れることを
愛と呼ぶのとは別に
また違った愛もあるのではないかと
先生思ったんですよね
例えばね
子供とりわけ赤子がね
風邪とかひいて鼻が詰まったときに
母親は鼻水を自らの口ですすってあげるわよね
これってつまり愛ですよね
また赤子が便秘になったりしたときも
ウンコを穿り出してあげなきゃなんない
もちろん
子供じゃどうしようもできないから
大人が手を貸すわけなんだけれども
とはいえ
子供とはいえ
家族とはいえ
相手は汚物
他人のモノならやはり躊躇するのが人間
その動機が
可哀想だとか私がやらなきゃだとか
理由はどうあれ
それは愛だと思うのだ漠然と
つまり
前回も書いたが
仮性包茎だとか
乳首が真っ黒だとか
おまんまんさんがユルユルだとか
それは巨乳でなくて単なるデブなのでは
だとか相手のコンプレックスを
相手の罪を赦し
個性と受け入れることが愛と呼ぶように
逆に言えば
汚物関係で相手の愛情度を
量る事ができるのではないかどーですかお客さん
と仮説を打ち出して見たわけだえぇお前さん
何故ならつまり
汚物と言うもの
常に性器周辺から分泌排出されるものであり
また
一般的には人前で隠さねばならない風習こそが
淫靡さを助長するおかげで
自ずと汚物=性界隈をイメージさせるのも
至極道理なわけだけど
だからと言って
君のウンコを食べさせてくれ
君の汚物まみれのナプキンを舐めさせてくれ
君のおしっこを上からかけてくれ
などという糞尿愛好主義
俗に言うスカトロジストが博愛主義であるわけではない
それは単なる性癖で
自らの性的満足を満たす為の行為に過ぎないわけで
言ってみれば単なるグロ的なオナニーなのであり
ウンコ食べてみせたから君を愛しているなんて道理
はたまた
君を愛する証拠にウンコだって食べて見せるなんて道理は
求めても無いのに
助けてあげたから礼を請求する
もはやそれはヤクザの道理なのであり
そんな人間は
国家が率先して下水処理施設及びバキュムカーの清掃用務員の職に
斡旋すべきであると
私は常々思うそんな初秋の週末なんだけれども
そもそも
生理用品売り場で
どのナプキンはたまたタンポンにするか
アゴに手をあてながら考える女性は
何故に魅力的なんだろうか
その生理用品に決めた要員は何だったのだろうか
毎回重たいのだろうか
などと見ているだけでほのぼのとしてしまうよね☆
閑話休題
話を戻そう
先日映画を見ました
ひどく残暑の厳しい日でした
いえ話戻ってるから心配しないで
最後まで話聞いて
えっとね
こう見えてもワタクシ
映画好き映画オタクって言ってもいいくらいの
死ぬときは映画館で映画見ながら死んでいきたい
ってくらいの映画好きであることは
前にも書いたんだけどね
え?前フリが長いって?
それは仕方が無いよだってチンコの皮も長いんですもの
セックスは早いんだけどね
閑話休題
失礼
でね
竹中直人のファンなんですよ
勿論映画監督としてのね
でね
氏の最新作が4年ぶりに公開されたので
見てきたんですよ
勿論ひとりで(はぁと
まあそれはおいといて
その劇中
愛の象徴として
小便つまりオシッコが描かれているのだけれど
浮気を繰り返す男と付き合うヒロイン原田知世は
ラブラブでありんばがらもどこか距離を感じ
海に遊びに来たものの周囲にトイレは無く
男は海に向かって立ち小便を
ヒロインはほほえましげにそれを見つめている
一見どこにでもあるような風景
しかし
後半
その男と別れたヒロインは
一方的にヒロインを想い続けてきた竹中直人の一途さに心を開き
その後二人は海へ
そして竹中直人もまた海へ立ち小便
そしてあろうことか時を駆けた少女原田知世まで
竹中直人の横でスカートを捲り上げパンツずらし
座り小便を始めてしまう
好きだとは言わなくとも
明らかに心を開いたと
2人は精神的に結ばれたとわかる叙情的なワンシーン
つまり
これは愛なのであり
心を相手に許さないとできない行動なわけで
ここにひとつの
汚物で愛情度を量る
の仮説の証明が成り立つわけで
排尿及び排泄という行為を共有することが
愛情の度合いであるのは
私は以前風俗嬢と一発ヨロシク決めた後
って勿論お金を払ってんだけど
発射したあと
その少女はゴムを外そうとせず
ちんこのある部分を責めつづけた
そうするとどうでしょう
普段は一発しか発射できない私のチンコが
もう一度高揚感と快楽感を感じ
しかしそれはいわゆるイク感じとは違った感覚で
何か出るあ、ああぁと私のチンコから出てきたのは
それは小便だったのであり
少女は女が潮をふくようなもんよっとわらってたのだが
チンコに付いたゴムはプクゥと水風船のようにふくれあがり
まさかベッドでこのゴムをはずす訳にはいかず
かといってオレは失禁したのかという得も言えぬ羞恥が
頭の中をグルグルとかきまわり
ガニマタで裸で真ん中に水風船垂らしながら
えっちらおっちらトイレに駆け込む姿は
恥辱以外の何物でも無く
つまり
重大事故とか自然災害だとか
極限状態を体験した男女が
そまま結ばれるように
極限の恥辱体験の共有が愛を生むのも
納得できる話で
ならば
アナルを舐めてくれるか否かで
愛情の度合いはわかるし
おしっこするところ
ウンコするところを
見せてくれるかで
愛情の度合いがわかるはず
なのだが
そもそも
私が言いたいのは
究極の選択
ウンコするところを見られる
のと
出したウンコを見られる
はたまた
オシッコするところを見られる
のと
出したオシッコを見られる
のでは
どちらが恥ずかしいか
排尿排泄の瞬間の顔を見られるのも
恥ずかしいし
かといって出した後の糞尿をじっくり観察されて
へえこんな色してるんだ
ほほぉ君のはこんなカタチなんだね
やあやあ顔に似合わず大胆なモノを
なんて評されるのも
学生時代に書いた日記やポエムを読まれるよりも
恥ずかしいこと山の如し
結句
私が言いたい事は
明日
検便なんだよ
ヤなんだよ
誰か
見る?

見ませんか
検便取るところ


なんだから
多分それは。




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