できちゃった結婚 赤ちゃんポスト 共通するのは 両者とも 合法なのに 当事者が責められるとうことであり 共通するのは 法の介入が認められず 国がその問題を放置している そして共通するのは セックス 共通するのは 諸悪の根源は教育である そして共通するのは そのネーミング 例えばフリーターやニートなど 仕事をしない若者に名付けた事で なんだか横文字でカッコイイ先入観を植え付け 現状はご覧の通り かのみうらじゅん氏は 暴走族という呼び名を ウンコプープー族に呼び名を変えれば 誰もなりたがらないと説き 一部メディアでは珍走団と名称変更を主張しており つまり 現状はなんてことはない無職なのに それをニートなんて横文字にする事で その罪悪感を鈍感にさせてしまうわけだ 赤ちゃんポスト できちゃった婚同様 本来は恥ずべき事なのに そういった名称をつけることで その存在を認可して肯定してしまう事になり 案の定 早速子供が捨てられ アイドルは契約を無視して子供を作ってしまう 勿論 赤子が心無い親に殺され放置され捨てられる それと比べるなら 赤ちゃんポストに捨て子として 施設や里子として育てられたほうが 赤子の将来には役に立つかも知れぬ ときには 結婚前に赤子を作る事で よりよい絆が深まるのかもしれない ただそれはあくまで結果論であり 施設や里子のシステムが 現在構築されていない日本では時期尚早であり できちゃった婚が原因で 仕方なく結婚した結果 その後の家庭不和だって 往々にしてある話であり つまりその原因 無計画に子供を作ることにある ではその当事者に原因があるのか ノン では何故若者は安易に妊娠し 安易に育児放棄をするのか それは やはり教育 性教育の問題で 避妊の大切さよりも 倫理上宗教上 中絶は悪という教育のおかげで そうゆう結果に至るわけである では何故 性教育改正に国家が乗り出さないのか 勿論 基本的人権の尊重 個人の性生活にまで足を踏み入れるのは 人権侵害であり 全て個人の自由であるから などというのは 表向きで 勿論中国のように ひとりっこ政策を謳い文句に 小さな村村の10代の少女から熟女まで 生理あるもの全ての女性に 強制的に避妊手術を行なわせれば 立派な世界的社会的問題であるが 共産主義国家の中国とは違い 民主主義国家の日本に そこまで人権を否定する事などないわけで むしろ HIV感染者数と発症者数が飛躍的に右肩上がりのなか 国家が性教育に乗り出さない事の方が不自然極まりなく では何故 日本は性教育改正に乗り出さないか イッツ政治 勿論中国でさえも 止まらない人口増加に加えそれに伴う食糧事情 小さな自治区の政治的背景も加えて そんな非人道的な処置を行ったのだが 日本は事情が違う 勿論食料自給率は低いんだろうけど 少子化問題とは言うけれど 少子化の何がいけないのか それは子孫繁栄といった類のものではなく 税収の減収 さらには団塊の世代たちの年金支給の拡大 つまり 支出は拡大するが収入は激減 ただでさえ借金大国の国家の保持の危機意識であるからで つまり 中絶するくらいなら 子供を産め 育てられないなら 殺す前に施設に 子供さえ生きて成長すれば そのぶん将来の税収確保が容易になるからに過ぎず それを倫理だとか宗教観念というフィルターをかけて 誤魔化しているに過ぎないのである そこまで切羽詰ってしまった日本に ホントに未来なんてないんだよあぽーん さて どうやら本格的な薄着の季節 私が できちゃった婚や赤ちゃんポスト以上に 憂れいてるのが Tバック ラインが細めのパンツの流行や 白いパンツ・スカートの流行により 女性はパンティラインを必要以上に気にして 故に Tバックが流行しているのだとも思う また AVにおいても 特に熟女モノにおけるTバック普及率というもの HIVの感染者数以上に右肩上がりを示しており 熟女におけるTバック価値観というもの 欲求不満だとかセクシーだとか 明らかに男に性行為に 我如何に貪欲か 我如何に今日ヤリたいか を示すオシャレ感覚の若年層Tバック価値観の相違に 非常に興味深いわけだが 尻フェチで女性下着フェチである私にとって 幾ばくかの疑問を感じるのだが まず第一に 下着として機能していない点 陰毛や性器がハミだし また下着の醍醐味は その材質の触感はもとより 性行為時 脱がして上げる瞬間の 剛毛でありませんように ピンク色でありますように などといったギャンブル的要素にあり 脱がす前からそれがわかってしまっては 興ざめも甚だしく 第二に 世の中そんな完璧な人間などおらず ビシっとファッションをキメていても パンティラインやブラ透け程度のミスがあるくらいのほうが 人間として好感が持てるわけで しかし これは私だけの感覚だろうか それとも男性全員の意見なのか それとも 時代の潮流に取り残された私の妄想なのだろうか 私の父親世代が 私の感覚を理解できないように 私もまた 若者を理解できなくなってしまっているのだろうか いけない これではいけない 若者に迎合する必要など無いが 若者の感覚を受け入れられないという事は 自らの老化を認めてしまう事である そう 思い Tバックの良さを 理解するために 調べる為に 若くありたいが為に そう 思い 自ら Tバックを 最近履くように しているのです 勿論男性用の しかし しかし 食い込むのです 痛いのです 座薬を入れているような 違和感を感じるのです それだけならまだいい それだけなら良くある話で 同僚や はたまた女性に見せると 笑われるのです 嘲笑されるのです それだけならまだいい それだけなら良くある話で なんなら なんなら 気持ち悪がられるのです キモイ と3文字で済まされるのです 結句 Tバックというもの 生半可な気持ちではいてはいけない オシャレの為に 性欲の決起表明の為に 確固たる 意志がなければ 否 意思があっても Tバックは いわば パワーリストパワーアンクルのような それでも それでも オシャレや性欲の為に Tバックを自ら課して履き続ける女性に できちゃった婚や赤ちゃんポストに捨てられた赤子 そんなものにまで 税収を頼らざるを得ないニッポンに 社会的地位の低さや生理の重さのセクハラ痴漢などの 社会的苦痛がありながら更に Tバックの食い込みの苦痛まで背負う Tバックの女性のストイックさがあれば まだ まだ大丈夫だと エスカレーターでOLさんの尻を眺めながら がんばれよ と 心の中で エールを送るのです 女性に そして 日本に。
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